大道塾空道(だいどうじゅくくうどう)は、大道塾が作り上げた安全性と実戦性の両立を目指した競技であり、打撃技、投げ技、寝技が認められた着衣総合格闘技。大道塾は、極真会館第9回全日本空手道選手権王者となった東孝により1981年2月17日に仙台市で創始された、「格闘空手」を標榜し創設された団体(現在は「空道」)。日本国内に100箇所以上、世界中で50か国以上の国に支部を構え空道の普及にあたっている。日本発祥の日本人が創設した武術であるが、競技人口は現在ロシアが最も多く、日本の競技人口を圧倒している。組織としての大道塾と競技としての空道の関係は、講道館と柔道の関係に似ている。大道塾は1981年2月17日、東孝によって発足した団体である。それまで極真空手を実践していた東が大道塾を立ち上げた理由としては、「伝統派(錬武会)の上段突き食らって少し鼻が曲がったから」、「喧嘩では襟掴んで頭突きが得意だったから」などの理由を自身の著書、はみだし空手の中で述べているが、顔面無しのフルコンタクトルールに限界を感じたことが大きな理由であると言われている。発足後、1980年代後半から1990年代初頭にかけて、K-1やU系団体と共に日本における格闘技ブーム興隆の一翼を担った、当時の格闘技業界では数少ない総合格闘技の団体であり、UFC 2にも市原海樹を派遣している。なおこれが日本人として初めてのUFC参戦であり、当時の他の団体はUFCへの挑戦に二の足を踏んでいた。決して本意ではなかったとは言え、グローブルール等にも選手を派遣し、自らグローブルール中心の興行であるTHE WARSを開催し、キックボクシングのトップ選手と大道塾所属の選手が互角に戦うなど実力を見せ、メディアでは大道塾のエース的存在だった長田賢一と正道会館の佐竹雅昭の夢の対決を待ち望む声も大きく、大道塾所属の選手が格闘技雑誌の表紙を何度も飾るなど、当時の格闘技界では正道会館と並んで時代の先端を行く存在であった。その後、1990年代中盤頃から正道会館等とは正反対にプロの興行などから距離を置き、設立当時から大道塾が目指していた、「実戦性と安全性」の追求という本来の進路に戻ると言う方針をとったことにより他流試合の数は減少、メディアに登場する機会も減少し失速したとも言われることもある(グローブを装着したルールでの試合では、グローブの重さによる脳へのダメージの心配があり、また、グローブのせいで組み技にも大きな制限が加わるため、大道塾の本来の理念とは離れたものになってしまうというのがその大きな理由である)。しかし、興行主体のプロ格闘技に対するアンチテーゼともいうべき方向性は、2001年に大道塾初の世界大会を成功させ、空道という新たな武道を発足させたことで、1990年代中盤からの大道塾の進路が間違っていなかったことの証明となった。そして、文部科学省の後援を得るなど、社会体育団体としての活動を目指す点では異色の格闘団体とも言える。現在はプロ格闘技の興行とは一定の距離を置く大道塾ではあるが、1990年代にはサブミッションアーツレスリングと交流し、現在も中国の散打や合気道S.A.、パラエストラ、覇天会などの団体などとは技術的な交流もあり、大道塾所属の選手がキックボクシング(R.I.S.E.等)や総合格闘技に挑戦しているケースもあり、各種団体との交流は盛んである。さらに北斗旗選手権には日本拳法や修斗等の他の団体からの挑戦者も多い。過去にはムエタイ、散打、テコンドー等の選手が出場したこともある。練習体系はいわゆる空手の稽古の名残があり道場での正座、礼、挨拶、基本稽古、移動稽古、約束組み手、組手、掃除等、通常の空手道場によく似た形式で行われている。特に極真空手から分離した団体であるため、その影響をうかがわせる部分も多い。なお基本稽古・移動稽古という練習の名称自体は他の空手団体と同じだが。その内容は大きく異なる。蹴り技に関してはそれほど違いは大きくないが、手技に関してはそれまでの空手のものとは異なり引き手をとらず、打つ側と逆の手をアゴの横を守るように置くなど、ボクシング等のパンチに近い形である。また構えも実際に戦うときと同じ構えと脚の形である「組み手立ち」が基本になる。ジャブ・右ストレート・左フック・右フック・左アッパー・右アッパー・肘打ち・前屈前蹴り・正面前蹴り・膝蹴り・横蹴上げ・横蹴り・回し蹴り・後ろ蹴り・横関節蹴り・前関節蹴り・脚払い・金的蹴り柔道と同じような受身や打ち込みの練習から入り。その後、投げだけの組み手・寝技だけの組み手等を行う。道着を着た状態での組み技であるため柔道との類似点も多い。ただし、柔道とは違う点も多く、たとえば柔道では片袖片襟を持つ行為は反則だが、空道では反則ではないためそれを利用した変則的な組み方が多い、そして打撃があるために顔面のガードを空けたまま組み付いた場合打撃をくらってしまうので、打撃を食らわない組み方が大事であるし、投げた後に寝技で不利にならないような投げ方も必要である、柔道と比較すると脚払い系の技の練習の比率は高く、打撃がある場合使いづらい背負い系の技は頻度は少なめな傾向がある。なお、立った状態での掴みは10秒でブレイクされるために組んだらすぐに投げに移行する必要がある。寝技においては柔道とは異なり押さえ込みによる一本勝ちはない、また柔道では認められていない足関節技などが存在する。空道のルール上マウントやバック、ニーインザベリー状態での極め突きがポイントになることからそれらのポジションを目指していき、絞めや関節技を狙うのが基本であるが、寝技の制限時間30秒という短い時間で勝負をつけるためにポジショニングをある程度無視しても極めにいける脚関節技が使われることも多い。これらの組み技における時間的制限と打撃があることの影響から、投げ技・寝技ともにスピードが非常に重視される。空手や柔道と同じように帯の色によって級や段は分けられている。となっている。昇級、昇段審査は基本稽古、移動稽古、投げ・関節技等の習熟度の審査と、組手による審査。また体力チェックもあり、ベンチプレスやスクワットの数値がそれぞれの級・段によって決められているので(体重や年齢によっても違う)、規定の数値をクリアしなければならない。大道塾からは大小合わせて幾つもの分派が派生し、現在それぞれ異なった路線の活動を行っている。分派団体としては、和術慧舟會、空手道禅道会、武現塾、稲毛道場などが挙げられる。「大道」は仏教用語の「大道無門」に由来する。本土に渡る前の「唐手」は本来投げ技や関節技を含んだ総合武道であったという認識から、本来の空手の原点に立ち戻るという意味で、従来の空手の枠に囚われない武道を目指している。そのため、設立時には「空手道」の名称を使用しない独自の格闘技を自称しようという案もあったが(闘道、等)、東のキャリアや道場経営、世間一般での認知度を考慮し、「空手道大道塾」となった。後の2001年から総合武道「空道」の団体として生まれ変わることになる。我々は空道の修行を通じ 強固なる精神力と体力とを養い、文に親しみ智力を練り、人と結びて有情を体し、もって人格の陶冶をなし、社会に寄与貢献する事を希うものなり空道とは、極真空手から発展した武道であり、実戦性と安全性を非常に意識した競技である。頭部にスーパーセーフという防具着用のもと突き技、蹴りに加え、投げ、頭突き、肘打ち、金的蹴り、寝技、寸止めマウントパンチ、関節技、絞め技など様々な攻撃が認められる着衣総合格闘技。2001年に第1回の世界大会が開かれるのを機に、それまでの「空手」の名称から新たな武道である「空道」へと名前を変えた。ただし1980年代から空道を名乗ってはいないものの現在とほぼ同様の規模・ルールでの競技が毎年行われており、2001年に行われたのは「名前の変更」だけであると言っていい。2001年11月「第一回北斗旗空道世界選手権大会」を代々木第二体育館に世界23か国の参加で開催される、これが「空道」という競技名がついた最初の大会である。2002年5月「02北斗旗空道全日本体力別選手権」開催。「空道」を冠した初の全日本体力別大会。2002年には内閣府によりNPO法人「国際空道連盟」が認証される。2004年5月の「04全日本空道体力別選手権大会」からは文部科学省の後援によって行われている。優勝者には文部科学大臣賞が授与される。毎年2回全日本選手権が開かれており(5月ごろに階級別・11月ころに無差別)、4年に一度世界大会が開かれている。大道塾は国際空道連盟・全日本空道連盟に加盟しているが、統括団体の二つとも現在は実質的には大道塾と同一の団体である。ロシアがもっとも多く日本がそれに次ぐものとなっている。そのほか50か国以上に普及しているが、現在も競技人口は増えつつある。ロシアでは安全性と実戦性が高く評価され、空道が国立大学の学科として開設され、試合には多くの企業のスポンサーが付くなど公的・私的なバックアップが強力であり、五万とも十万とも言われる競技人口が存在する、日本国内では一万人以下である。北斗旗とは全日本空道連盟が主催する空道の大会の名称で、「北斗旗全日本体力別選手権大会」と「北斗旗全日本無差別選手権大会」がある。北斗旗という名称は北斗七星から名をとって作られた最優秀選手賞獲得者に与えられる旗のことであり、大会の名前にもなっている。体力別選手権は、春に仙台市の仙台サンプラザ(2005年まで宮城県スポーツセンター、2006年・2007年は愛知県武道館)で開催され、無差別選手権は秋に東京の国立代々木競技場第二体育館やディファ有明で開催される。体力別選手権は、身長と体重を合わせた「身体指数」により5つの階級に分けて競技が行われる。なお、オープントーナメントで開催されており大道塾以外にも日本拳法やアマチュア修斗選手などが出場者に名を連ねる年もある。4年に1度、空道の世界大会が開催されている。第一回大会が2001年、第二回大会が2005年、第三回大会が2009年に開催された。58か国の国から参加者がいる。次回の世界大会は2013年である。世界大会の開催地は現在は日本である。詳細は 世界空道選手権大会を参照。その他ロシアやヨーロッパ等、空道が盛んな国では国内・地域選手権大会が開かれている。ロシアのウラジオストックで行われるゴールデンイーグル杯、等が有名である。2007年9月29日には第一回空道ヨーロッパ選手権大会がソフィア(ブルガリア)で開催され、18か国が参加した。大道塾の海外への展開は1990年代からであり、ロシアのウラジオストクに作られた支部が初の海外支部である。現在まで40か国以上の国に支部を持ち、各国で空道の競技の普及に努めている。チリ・ブラジル・オーストラリア・イラン・スリランカ・パキスタン・イタリア・ウクライナ・ベルギー・ポルトガル・インド・イギリス・ラトビア・ベラルーシ・ミャンマー・フランス・アメリカ合衆国・ネパール・エストニア・コロンビア・スペイン・ドイツ・リトアニア・ギリシャ・モンゴル・ブルガリア・セルビア・ハンガリー・アラブ首長国連邦・モロッコ、などの多くの国で空道が行われている。極東国立総合大学における大道塾指導員学科の開設1999年の5月にロシアのウラジオストク支部はロシアの名門大学である極東国立総合大学と公的契約を結び、この契約に基づいて公式指導員を目指す道場生から毎年3人が無料で大学に入学することが可能になった。極東国立総合大学は最近社会体育、社会福祉をより発展させる方針のために体育カレッジを設置しており、その中で2000年9月1日から「コーチ・大道塾指導員」という学科が開かれることになった。パンチ・キック・肘打ち・膝蹴り・頭突き等を全身に直接加撃し、ノックダウンによって「一本」を奪うか(4秒間以上の戦闘不能によりKOとなる)、絞め、関節技で「一本」を奪う、判定に持ち込まれた場合「技あり」「有効」「効果」の多少で勝敗を決する。体は空道着を着用する。顔面にはスーパーセーフを着用。手は素手、もしくは拳サポーターを着用する。金的にはファウルカップを装着する。なお、空道着は2005年の体力別選手権から白だけではなく、青の道着も導入された。片方の選手が白、もう片方の選手が青の空道着を着用する。これは道着と顔面の防具を着用して行われる競技の特性上、時として寝技などで双方のポジションが大きく入れ替わるような動きが行われた場合、双方の選手の見分けが難しいことがあり、観客からだけではなく、審判からの選手の視認を行いやすくし、誤審をなくすためである。通常は禁止。だが、身体指数(身長の数値+体重の数値)の差が20以上ある場合はファウルカップを着用し両者に蹴りによる金的攻撃を、差が30以上ある場合は、拳もしくは拳底による金的攻撃を認める。身長(cm)+体重(kg)の数値が身体指数と言われ、現在の北斗旗(無差別は除く)では5つの階級に分かれている。顔面の防具であるスーパーセーフは鼻が折れる、目に直接打撃が当たり失明する、等の怪我を防ぐ上で有効であり、社会人でも顔の怪我やあざを気にする必要がなく、顔面に防具をつけることで拳の側には非常に軽く薄い拳サポーターのみであるため、重いグローブをつけた時の問題点である脳へのダメージを減らすことができる等、非常に安全性が高いものになっている。そして、空道以外の試合ではほとんど見ることができない 頭突き という技をルールに導入することを可能にした。これらのことからスーパーセーフと拳サポーターという組み合わせは大道塾の社会体育という理念に合致するものであると言える。だが、スーパーセーフの構造上の問題も指摘されており、視界の悪さ、第三者から表情が見えづらい、素面と比べてセーフのプラスティック製の部分が前面に出っ張っているために距離の感覚に違和感がある、顔の正面への打撃はダメージが少なくなる、等の弱点もある。これらの弱点は長年言われていたが、それを解消するために2007年に空道オリジナルの公式防具である「NHG空(ネオヘッドギア クウ)」がマーシャルワールドと共同開発された。大道塾創設以来使われており、現在も使われている顔面の防具であるスーパーセーフの弱点を改良しており、段階的に導入が進められているTHE WARSとは大道塾が行う実験的なワンマッチ興行のことであり、現在までに6回開催されている。毎回試合ルール等は異なり、あくまで技術的な蓄積や経験を得るため、そして大道塾の選手が異なるルールに対応できるのかどうかを証明することが主な目的である。正道会館とK-1の関係と似ているが、大道塾にとってTHE WARSは空道を補完する立場であるため、位置づけはやや異なる。第1回のTHE WARSが行われた1990年代前半だが、当時、格闘技界では正道会館を中心とした空手のグローブ化とショー化された派手な格闘技興行が盛んであり、格闘技雑誌もそれを多くとりあげていた、一方グローブではなく素手とスーパーセーフの大道塾に対し、メディアでは「グローブルールから逃げている」と言ったような記事が多くなり、それに対して大道塾の選手がグローブルールにおいても適応できることを証明するために開催されたのがTHE WARSである。第2回大会のTHE WARS '93も同様のグローブルールで試合は行われ、この2つの試合の結果により大道塾の選手のグローブへの適応能力と強さが証明された。1993年からUFCが行われ、UFC 2に市原海樹が参戦するもホイス・グレイシーに寝技で負け、日本の格闘技界もグレイシー旋風が吹き荒れ、数年前とは逆に「大道塾は寝技に対処できるのか」という声が大きくなってきた、このためTHE WARS 3・THE WARS 4・THE WARS 5の3つの興行では総合格闘技、特に当時交流のあった修斗やパンクラスの選手との対抗戦という形式のものが多く盛り込まれている。THE WARS 6では空道と同じような着衣総合格闘技を行っているフランスの団体との対抗戦という形式になった。試合ルールはオープンフィンガーグローブ着用で顔面には防具なし、体には道着を着用という形式である。このTHE WARS 6が他のTHE WARSの試合と若干異なるのは「異質なものとの戦い」という面ではなく、似たような技術体系を持つ団体との技術交流という側面が強いことがあげられる。1992年7月7日、後楽園ホール(東京)1993年7月8日、後楽園ホール(東京)1996年2月17日、枇杷島スポーツセンター(名古屋)1997年3月17日、後楽園ホール(東京)1999年4月8日、後楽園ホール(東京)2002年7月17日、後楽園ホール(東京)2002年5月の北斗旗全日本体力別大会ではエキシビションとして「集団戦」が行われた。集団戦とは「路上の現実」として起こりうる複数同士の格闘の競技化を狙ったもの、紅白5人ずつの2チームでの戦いであったが、寝技に入った場合即座に敵チームの他の選手から踏みつけの攻撃を受けており、複数での戦いの場合での寝技の危険性を見せ付けるものとなった。
出典:wikipedia
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