インディファティガブル (HMS Indefatigable, R10) は、イギリス海軍の航空母艦。インプラカブル級航空母艦の2番艦。ジョン・ブラウン社クライドバンク造船所で建造された。1944年7月、空母フォーミダブル、フューリアスと共にマスコット作戦(ノルウェー北部のフィヨルド内のドイツ戦艦ティルピッツ攻撃)に参加。7月14日にスカパ・フローから出撃し、7月19日に帰投。8月、タービン作戦、オフスプリング作戦、グッドウッド作戦に参加。タービン作戦はモルデ地域への攻撃で、空母フューリアスなどと共に8月2日にスカパ・フリーから出撃し8月4日に帰投した。オフスプリング作戦はモルデ地域への航空機による機雷敷設などで、護衛空母ネイボブ、トランペッターなどと共に8月8日にスカパ・フローから出撃し8月11日に帰投した。グッドウッド作戦はドイツ戦艦ティルピッツ攻撃で、空母フォーミダブル、フューリアス、護衛空母ネイボブ、トランペッターなどと共に8月18日にスカパ・フローから出撃し8月29日に帰投した。9月19日、スカパ・フローからトロムソ攻撃(ディヴァン作戦)へ出撃。しかし、作戦は中止され9月24日に帰投。1944年11月19日にインディファティガブルはイギリスを離れ、地中海とスエズ運河を経由して12月10日にコロンボに着き、太平洋艦隊に編入された。1945年1月、2度スマトラ島の製油所攻撃に参加した。一つ目はレンティル作戦で、インディファティガブルの他に空母インドミタブル、ヴィクトリアスが参加した。二つ目はメリディアン作戦で、インディファティガブル以外は空母イラストリアス、インドミタブル、ヴィクトリアスが参加した。メリディアン作戦終了後オーストラリアへ向かい、フリーマントル経由で2月10日にシドニーに着いた。2月13日、インディファティガブルで火災が発生した。2月27日にシドニーを発ち、マヌス島経由で3月20日にウルシー環礁に到着。これ以後沖縄戦に参加した。1945年4月1日、沖縄戦での作戦の支援中に日本軍の特攻機が突入し21名の戦死者を出したが、装甲甲板のおかげで5時間後には航空機の運用が可能となった。同年8月15日早朝、東京湾方面を目標とした攻撃隊を発進させる。攻撃隊の戦闘機に搭乗していたフレッド・ホックレー中尉は撃墜されて千葉県長生郡内に降下し、駐屯していた日本陸軍歩兵第426連隊に身柄を拘束され、同日夜に殺害された(一宮町事件)。戦後退役したが、1950年に練習艦として再就役した。1956年にスクラップとなった。
出典:wikipedia
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