マツダ・MX-R01(MXR-01)は、1992年のSWC参戦用にマツダがトム・ウォーキンショー・レーシング(TWR)と共同開発したプロトタイプレーシングカー。合計5台が製作された。WSPC(1991年にSWCに名称変更)では、1989年から、グループCカーのエンジン規定が従来の「燃料使用量の上限による規制」から「燃費制限なしの3.5リットル自然吸気エンジン」へと変更され、2年間の猶予期間を経て1991年から新規定に完全移行した。新規定車のエントリーの少なかった1991年こそ参戦台数確保のために、ターボエンジンやロータリーエンジンを搭載する旧規定車のSWCへのエントリーが認められたものの、1992年からは新規定車のみで開催されるようになった。このため、マツダが使用してきたロータリーエンジンは1991年を最後にSWCやル・マン24時間レースで使用できなくなった。そこで1992年シーズンは、新規定対応エンジンとシャーシを外部から購入し、自社技術でエンジン/シャシーを改良して参戦することになり、エンジンをジャッドから、シャシーをTWRからそれぞれ購入してマシンを賄うことになった。それまでロータリーエンジンの性能、信頼性を証明するためにレース活動を行ってきたマツダが、レシプロエンジンのマシンでレース活動を行ったことを奇妙とする見方もある。これについて、1990年に当時FISAマニュファクチャラー委員会議長だったマックス・モズレーが、マツダが1992年のSWCに3.5リットルマシンを走らせるという条件付きで、ロータリーエンジンのマシンで1991年のSWCに参戦することを認める可能性を示唆しており、MX-R01でのレース活動はマツダがこの条件を受け入れた結果と思われる。TWRのジャガー・XJR-14をベースに、エンジンをフォード・コスワース・HBエンジンからジャッド・GVをベースとした「マツダ・MV10」に変更。このエンジン変更に伴いエンジンマウント部の変更が必要となった。この設計変更についてマツダ側は、シャシの製作はTWRが行ったものの、設計はそれまでマツダのスポーツ・プロトタイプ・カーを設計してきたナイジェル・ストラウドが担当した、としているが、実際は設計もTWRで行われており、ストラウドはMX-R01の設計には関わっていなかった。SWC第1戦・モンツァに姿を現したストラウドは「やっと出番がまわってきたぞ」と話していたという。エンジンを新規で製作するには時間がなかったため、ジョン・ジャッド率いるエンジン・デベロップメンツと契約し、同社の持つジャッド・GVを共同で改良・開発を行うことになった。エンジン名称は「マツダ・MV10」とされた。ベースとなったジャッドGVは元々F1用に設計されたエンジンであるため(前年にスクーデリア・イタリアが使用)、すべてにおいて見直され、パワーよりも信頼性と耐久性向上を狙って開発が進められた。ル・マン出場時の最高出力は620PS/10,800rpmであった。ル・マンのレース後に分解されたエンジンはまったく問題なく、まだまだ走り続けられる状態にあったという。このエンジンはプライベートユーザーへの販売を視野に入れ、1993年の来シーズンに向けて更なる開発が進められていたが、マツダの撤退によりこの年限りで終わってしまった。ただしジャッドはこのエンジン開発の経験を活かす形で、後にル・マン24時間等の耐久レース向けのエンジンビジネスで一定の成功を収めている。マツダは1992年にSWCとJSPCにMX-R01を1台ずつ参戦させた。SWCではスプリント仕様を、JSPCではル・マン仕様のマシンをそれぞれ走らせた。マツダは1992年のSWCにオレカを実働部隊として1台体制で参戦した。マツダは1992年のSWCでチームランキング3位の成績を残した。ドライバーズ・ポイントはサンドロ・サラの8位が最上位だった。マツダは1992年のJSPCにマツダスピードからMX-R01を1台エントリーさせた。JSPCでは、新規定車両(Cクラス)と旧グループC規定車(C1クラス)でクラスを分けて、Cクラスは燃費制限なし、C1クラスは燃費制限ありでレースを行った。しかしC1クラスでのエントラントが多く、CクラスのエントリーはMX-R01の1台のみでクラス不成立の状態が続いた。10月の富士1000kmからトヨタ・TS010が参戦しクラスが成立したが、トヨタに勝つことはできなかった。最終戦のMINEサーキットで、日産・NP35がテスト参戦したため、始めてトヨタ・日産・マツダのCクラスマシンが揃った。山口マツダや千葉マツダにて、エンジンを取り外されたMX-R01が長い間展示されていたが、マツダスピードの消滅を機に姿を消した。2006年3月26日に富士スピードウエイのタイムマシンフェスティバルで往年のCカーたちと走行。このときはマツダ787B(55号車)と一緒にデモ走行した。合計5台製作され、クラッシュなどでは1台も失われていない。
出典:wikipedia
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