グランパズドリームは、日本の競走馬であり、種牡馬。1986年の日本ダービーでダイナガリバーと死闘を展開。サラブレッドクラブ・ラフィアンを創設する岡田繁幸の原点となった馬ともいわれる。馬齢は旧年齢表記とする。1985年8月3日の3歳新馬でデビュー。2着に終わるが、折り返しの新馬戦を快勝する。3ヶ月の休養を挟んで黒松賞で復帰。4着に入ると、強気に朝日杯3歳ステークスに連闘で挑戦するが、ダイシンフブキの8着に終わる。1986年1月6日の若竹賞は7着に終わるが、400万下を圧勝。オープン入りを果たす。その後、きさらぎ賞に挑戦するも9着。若葉賞2着を経て当時ダービー指定オープンだった青葉賞で2着に入り、ダービーの出走権を確保した。ダービーではテン乗りで田原成貴が騎乗。これは、騎乗予定だったフレッシュボイスが外傷のため出走を回避したために実現したものだった。これまでの成績から、単勝14番人気という評価であった。レースでは好スタートを切ったバーニングダイナが引っ張る展開の中、絶好の4番手に位置したダイナガリバーの後方の内でピッタリ追走。4コーナーでダイナガリバーが馬場中央のコース取りを取ると、ポッカリ空いた内を突いてアサヒエンペラー、ラグビーボールを振り切ったダイナガリバーを強襲した。しかし、壮絶な叩き合いの末、ダイナガリバーに2分の1馬身遅れ2着に終わる。このレース中に故障を発生、そのまま復帰することなく引退、種牡馬となった。ダービー2着馬とはいえ、競走成績も決して一流と呼べるものではないことや、父は競走成績はともかく種牡馬としては評価されなかったカブラヤオー、母はサラ系馬という血統背景もあって種付け頭数に恵まれず、主にサラブレッドクラブ・ラフィアンの募集馬を中心に産駒を送り出したが、中央3勝を挙げたマイネルハーベスト程度で活躍馬を出すことができず1996年に死亡した。その後、母の父として2000年代唯一のサラ系中央重賞勝ち馬マイネルビンテージ(2000年京成杯)を出している。本馬は和訳すると「おじいちゃんの夢」となる。これは、岡田繁幸の父である岡田蔚男のことを指している。この名は蔚男が入院していた病院のトイレで思いついたという。母の母のケニイモアは1958年の中山大障害春・秋を連覇し、啓衆社賞最優秀障害馬。サラブレッド系種はミラとバウアーストック系列がほとんどであるが、この馬は天の川に遡る珍しい血統である。
出典:wikipedia
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