『不道徳教育講座』(ふどうとくきょういくこうざ)は、三島由紀夫の評論・随筆。三島の純文学作品では窺えない機知、逆説、笑いにあふれた内容で、人気が高い作品である。「知らない男とでも酒場へ行くべし」「人に迷惑をかけて死ぬべし」「スープは音を立てて吸ふべし」など、世間の良識的な道徳観や倫理に反するタイトルが、それぞれ70章に及ぶ各章に付され、中国の『二十四孝』をもじって親不孝の話を並べた井原西鶴の『本朝二十不孝』式パロディに倣っている1958年(昭和33年)、雑誌『週刊明星』7月27日創刊号から翌年1959年(昭和34年)の11月29日号まで連載され、その間に映画化、松竹新喜劇化、連続テレビドラマ化もなされた。単行本は、前半部が連載中の1959年(昭和34年)3月16日に中央公論社より刊行され、続編は翌年1960年(昭和35年)2月5日に刊行された。文庫版は角川文庫で刊行されている。なお、「暗殺について」の章は、初版単行本以外は削除されている。翻訳版は、韓国の李時哲訳、中国の陳玲芳・古里訳(韓題・中題:不道徳教育講座)で行われている。三島が作中冒頭で説明しているように『不道徳教育講座』は、井原西鶴が中国の『二十四孝』をもじって、選りに選った「親不孝者」の話を並べた『本朝二十不孝』に倣ったものである。三島は、〈自分が親不孝だと思ふことが孝行のはじまり〉だから、西鶴の本は〈なかなか益がある〉と説明している。また、初刊から10年後の1969年(昭和44年)、前・続編の合本の単行本刊行の際に三島は、〈例の安保闘争より二年前の世相を反映してゐるから、今から見ると、何かとズレてゐることはやむをえない〉とし、初刊当時の〈毒が薄まり、逆に常識性が目立つてきた〉が、自分がその中で言おうとしていた主旨は、〈今日も適用されうると信ずる〉として、以下のようにも語っている。『不道徳教育講座』は、〈不道徳〉と付きながらも、無難なユーモラスの範囲のエンターテイメント性のある評論として当時も好意的に受け取られ、大衆演劇やテレビドラマなどの翻案作品も生まれている。『不道徳教育講座』の連載中、進藤純孝は、かつての破滅型の太宰治などに替って、三島ら「不道徳教の教祖」が現代女性の「アクセサリー」になったとし、不道徳を唱えても、「世の中から追い出される心配はなくなった」時代で、「無難な、ころあいの不道徳をすすめている」と述べている。『不道徳教育講座』を「現代日本文学の歴史に残る、しゃれた、そして根源的なアフォリズム集」だと評する奥野健男は、三島の純文学作品では表わされない、普段の三島が交友の中で見せる「機智」「エスプリ」「ユーモア」が存分に盛り込まれ、世間に隠された一面が発揮されている楽しい作品だとし、「女大学式」の抑圧的な道徳講座を風刺したり、三島得意の心理分析や洞察力で、悪や革命や虚無へ向かう「人間の原存在の深淵をチラリと垣間見せ」ながら、独自のレトリックを駆使して「反逆の牙を巧みに抜き、結局は健全道徳を容認し、その智慧や真実を讃美するような結論」の流れになっているとして、以下のように解説している。そして奥野は、この解説から3年後に三島が自決したことから改めて、「やはり三島は真面目な、余りに生真面目な人間だったのだ」だと述べ、全く古びない『不道徳教育講座』の「気の利いた文章」の中に、三島が自身の死や、「その先の遠い未来までを見つめている視線」を感じるとし、『美しい星』の中で三島が主人公に仮託して地球人の美点を謳っている部分を引きつつ、「この五つの美点は世の中に有効なものではない無効なもの故に尊い、地球人類は芸術家だというのです。『不道徳教育講座』の先にあるものは、こういう深い逆説的な考えだったのです」と解説している。『不道徳教育講座』(日活) 1959年(昭和34年)1月9日封切。モノクロ 1時間29分。『不道徳教育講座』 フジテレビ
出典:wikipedia
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