1992年大韓民国大統領選挙(1992ねんだいかんみんこくだいとうりょうせんきょ)は、大韓民国の第14代大統領を選出するために1992年12月18日に行なわれた選挙である。なお、韓国では選挙回数を「第○回」ではなく「第○代」と数えるのが一般的である。この大統領選挙は、政治体制の民主化が争点となった前回とは違い、沈滞する韓国経済をどう立て直すのかが問われる選挙となった。事実上、金泳三(民主自由党、以下:民自党)と金大中(民主党)・鄭周永(統一国民党、以下:国民党)の3人による争いとなった選挙は、金泳三が金大中を大差で制して当選し、朴正煕・全斗煥・盧泰愚と3代にわたって続いてきた軍人政権に終止符を打ち、文民政権が発足した。11月25日に立候補登録が締め切られた時点で以下の8人が立候補登録をした。民自党の金泳三候補が民主党の金大中候補に200万票弱、8.2%の差をつけて当選した。金泳三候補は、遊説の初めから”安定か混乱か”をスローガンに掲げて安定を求める保守中産層を狙った戦術を採用し、変化を求める勢力へは”韓国病の治癒””新しい韓国の建設”をキャッチフレーズに、支持を広げる両面作戦を繰り広げ、幅広い支持を取り付けることに成功したことが当選に結びついた。一方、金大中候補は野党勢力が伝統的に強いとされ、金泳三に10%以上の確実な差をつけることが出来る見込んだソウル特別市で、2~3%程度のリードに留まったことと、選挙戦終盤に入って慶尚道地域で高まった地域感情の高まりで同地域における得票が予想よりはるかに少ない結果になったことが重なって敗北した。鄭周永候補は、自身が率いる現代グループの巨大な組織力と資金力により序盤で善戦したものの、両金候補と異なって地域的な固定票が存在しなかった点と、選挙戦最中に金権選挙との批判を受けたことで、序盤の勢いを維持することが出来なかった。出典:アジア経済研究所編『アジア動向年報 1993年版』(アジア経済研究所)32頁「第14代国会議員・大統領選挙関連日誌」を基に作成した。
出典:wikipedia
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