


シャルル=ユベール・イタンジュ(Charles-Hubert Itandje, 1982年11月2日 - )は、フランスのセーヌ=サン=ドニ県ボビニー出身のカメルーン代表のサッカー選手。ガズィアンテプスポル所属。ポジションはゴールキーパー。カメルーン人の家系に生まれたイタンジュは、1997年から2001年にかけてレッドスターFC93の下部組織及びトップチームに在籍し、2001年にRCランスでプロデビュー(当時のレッドスターは所属)以降レギュラーとして活躍し、リーグ戦170試合・欧州カップ戦に21試合出場した。2007年夏にホセ・マヌエル・レイナの控えを務めていたスコット・カーソンがアストン・ヴィラFCへ長期ローンで移籍したため、その後釜としてリヴァプールFCに移籍した。その際にイタンジュは"リヴァプールに素晴らしいGKがいて、自分が第2GKなのははっきりしている。だが、シーズンは60試合もあり、そのことでフットボールリーグカップとFAカップで出番があるだろう語った。同年9月25日のリーグカップ・レディングFC戦(4-2)でデビューを果たし、最終的にこのシーズンはリーグカップに3試合, FAカップに4試合出場した。2008年夏にガラタサライSKからのオファーを断ったものの、程なくしてジエゴ・カバリエリが加入したことで第3GKに序列が下がり出場がない日々が続いたため、2009年1月に退団を望み新たなクラブを探していた。2009年4月、ヒルズボロの悲劇の20周年目となる追悼式の最中にチームメイトにジョークを言っている姿がテレビカメラに放送された。これに対し14日間の謹慎処分が下され、イタンジュは遺族やサポーターに謝罪した。その後、リヴァプールでの出場は1度もなく退団することが決定し、アトロミトスFCへ移籍する際に"すみません。すみません。すみません。何千回でも謝りたい、すみません。クラブ, ファン, 特に犠牲者の家族に深く謝罪します"と再び謝罪をした。2009年8月29日にシーズン終了までへ貸し出され、ジェリコ・カラッツと正GK争いを繰り広げながら19試合に出場し、9試合を無失点に抑えた。2010年6月30日にリヴァプールに復帰。契約は2011年1月まで残っていたものの、レイナ、ブラッドリー・ジョーンズのみならず、リザーブチームの、に次ぐ5番手の立場となったため、次のクラブを模索し始めた。2010年12月8日にリヴァプールと契約解除し退団することが発表され、2011年1月1日に自由移籍でギリシャのアトロミトスFCに加入。OAKAで行われたのAEKアテネ戦(0-3)でデビューした。2013年1月29日にPAOKテッサロニキへ2年契約で移籍。半年前にアトロミトスからPAOK去った監督の後を追う形となった。2013年、コンヤスポルにレンタル移籍した。2015年、チャイクル・リゼスポルに移籍した。2016年、ガズィアンテプスポルに移籍した。U-21フランス代表に出場したイタンジュは、2006年夏にクラブで素晴らしいパフォーマンスを披露していたことからA代表の合宿に招集された。2010年10月にカメルーン代表でプレーすることをFIFAから許可され、2013年3月の2014 FIFAワールドカップ・アフリカ予選・トーゴ戦(2-1)でデビューした。
出典:wikipedia
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