植松 幸雅(うえまつ ゆきまさ)は、江戸時代中期の公卿。正三位宮内卿植松雅孝の子。父雅孝にははじめ子がなかったため、岩倉家から賞雅が植松家に養子に入っていたが、その後幸雅が生誕した。享保18年(1733年)に叙爵。享保20年(1735年)、元服とともに義兄賞雅の養子に入った。その後、侍従、内蔵権頭、右兵衛権佐、備前介、上総権介、左近衛少将などを歴任して宝暦7年(1757年)に左近衛中将、宝暦8年(1758年)には従三位となり公卿に列したが、宝暦事件に連座して御所参内禁止処分となった。宝暦10年(1760年)に落髪。
出典:wikipedia
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