国鉄185系電車(こくてつ185けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1981年に運用を開始した特急形直流電車である。国鉄で最後に製造した優等列車用電車車両でもある。特急形車両でありながら通勤通学輸送にも対応させるという、それまでの国鉄にはなかった新しい試みのもとに設計・製造されたことが特徴で、首都圏の東海道本線で普通列車と急行列車に使用されていた153系電車の置き換えのために登場した車両である。1982年には高崎線などで使用されていた165系電車を置き換えるために、耐寒耐雪装備や横軽対策を施した車両が増備され、1982年までに合計227両が製造された。1987年の分割民営化時には全車両が東日本旅客鉄道(JR東日本)に承継され、1995年から2002年にかけて全車両が車内外のリニューアルを施され、特急列車や湘南ライナー等を中心に運用されていたが、2014年以降は編成単位で淘汰が開始されている。本項では以下、東海道本線については「東海道線」と表記する。また、文中で使用する編成記号については編成表を参照。1970年代の国鉄東海道線では、「湘南電車」として親しまれた80系電車の後継車両として導入された153系が普通列車や急行列車「伊豆」に運用されていた。しかし、1980年時点で東海道線に運用されていた153系197両のうち160両が製造後19年以上経過しており、経年劣化が深刻な状況になっていた。このため、国鉄東京南鉄道管理局では153系を置き換えるための車両の構想を立案することになった。しかし、先に述べたように、東海道線で使用されている153系は普通列車にも運用されており、車両の運用効率を向上し、置き換える車両数を抑制するためには、153系と同様に東海道線の通勤用としても使用可能にする必要があった。この時点では特急への格上げという考えはなく、あくまで急行「伊豆」の置き換えが命題であった。この時点で構想されていた車両仕様は、「普通列車に使用できるように両開き扉を2箇所に配置し、デッキのない転換クロスシート車」というものであった。この特徴を備えた車両としては、1979年に京阪神地区に投入された117系電車が存在していたが、その後、通勤需要は考慮するものの、デッキなしでは居住性に問題があると判断され、117系電車を設計のベースに置きつつ、デッキの設置や客用扉も片開き1,000mm幅に変更するなど、置き換え用車両のコンセプトがまとめられていった。車両コンセプトがまとめられた後、営業部門から、急行「伊豆」を特急列車に格上げしたいという意向があった。このため、新型車両は急行を特急に格上げするための車両として製造することになり、車両のカラーリングは斬新なものを導入することになった。こうして、新型車両は国鉄では初めての試みとなる「特急用としても通勤用としても使用できる車両」として登場したのが185系である。本節では、0番台(基本番台)登場当時の仕様を基本として、耐寒耐雪仕様など増備途上での仕様変更については個別に記述する。更新による変更については沿革で後述する。185系は0番台(基本番台)に10両編成・5両編成が存在し、耐寒耐雪仕様の200番台は7両編成で組成されており、系列中に5形式が存在する。編成については、編成表を参照のこと。クハ185形は車体長19,850mm・全長は20,280mm、それ以外の形式は車体長19,500mm・全長20,000mmで、いずれも車体幅2,900mm・最大幅2,946mmの普通鋼製車体である。車体断面はそれまでの特急形車両とは異なり、117系電車と同様の車体断面とした。塗装デザインについては、それまでの国鉄の特急形車両ではクリーム4号をベースに赤2号の横帯を入れていたが、185系ではそれまでの「横方向の塗り分けとする」考えから脱却し、車体のベース色をクリーム10号とした上で、「伊豆の木々の緑」をイメージした緑14号の帯を右下がり60度の角度で3本配した。帯の幅は向かって左側から1,600mm、800mm、400mmと、幅をそれぞれ変えることによって変化をもたせ、軽快なイメージとした。これは当時の国鉄としてはきわめてユニークな塗り分けであった。この塗装デザインのため、0番台では側面の車両番号の表示はストライプと重ならないように位置がずらされている。200番台ではベースはクリーム10号で同一であるが、側面窓下に300mm幅で緑14号の横帯を配した。先頭部の形状においても、それまでの特急形車両のようなボンネットタイプやドームタイプではなく、117系電車を基本として、ソフトなイメージを与えるために丸みを持たせた上で、前面窓の下には緑14号の帯を入れることで前面窓を大きく感じさせることを図った。側面の乗務員室窓下にはステンレスの切り文字でJNRマークを配した。200番台ではJNRマークは緑14号の転写式シートに変更され、位置も客室側面窓上部に変更された。連結器上には警笛(タイフォン)が設けられているが、0番台ではメッシュであるのに対し、200番台ではカバーが設けられているのが外観上の識別点である。車体については省力化対策の一環として、外板には耐性鋼板を使用し、外板下部400mmと戸袋部分、洗面所周り、トイレ部分などの腐食しやすい部位については、ステンレスを多用することによって腐食防止対策としたほか、屋根についても布張りではなくウレタン系樹脂塗料を使用した塗り屋根とし、雨樋は強化プラスチック (FRP) 製とした。また、乗降用ドア窓のガラスや運転席のガラスを固定する方法についても、Hゴムは使用せずにアルミニウム合金やステンレスの押え金取り付け方式、コーキングを施した。0番台では側板の鋼体厚さは普通車が90mm・グリーン車が60mmとなっているが、200番台では鋼体厚さを普通車では95mm・グリーン車では65mmと厚くすることで断熱効果の向上を図っている。側面客用扉はグリーン車のサロ185形を除き片側2か所とし、各車両の両端部に出入り台を配置した。扉の開口幅はそれまでの特急形車両では700mm幅が標準のところを1,000mmとすることで、乗降客の流れをスムーズにすることを図った。側面窓はそれまでの特急形車両であれば固定窓とするところであったが、普通列車運用を考慮して開閉式とした。特急としてのイメージを維持するため、117系のような2段窓ではなく最大開口部寸法を400mm確保したアルミニウム合金製のユニット式1段上昇窓とし、開閉を容易にするためバランサーを内蔵させた。グリーン車の外窓枠については、普通車の銀色に対してレモンゴールドに着色した。普通車の窓幅は726.5mm幅で、2個1組のユニット窓としている。グリーン車の窓幅については975mm幅の単独窓である。普通車の配色については、カジュアルなイメージとするため、明るい暖色系をベースとして、天井はチェック模様、側内張りは布目模様、室内妻板はコルクモザイク模様とし、カーテンは緑の横縞模様とした。グリーン車についてはシックなイメージとするため、側内張り・室内妻板ともにベージュと茶色の革絞模様、窓枠と内帯はレモンゴールドとし、カーテンはベージュを基調とした金色の波模様とした。なお、側面窓を開閉式にしたことに伴い、それまでの特急形車両のように横引カーテンだけでは窓を開けた際に問題が生じるので、普通車・グリーン車とも巻き上げカーテンを併設した。出入台との仕切り扉については、それまでの車両では扉幅は820mmでありながら引き戸の把手の分を引き残すために実質的な有効開口幅は700mmであったが、185系の普通車では戸柱部分に切り欠きを設け、ここに把手の分が入り込むようにすることで実質有効開口幅を770mmに確保し、乗客の流れをスムーズになるようにした。扉自体はフットマット式スイッチを使用した自動扉であるが、客室扉上部には手動切り替えボタンが装備されていた(乗務員室からのスイッチ装置によって操作可能であった)。座席については、それまでの特急車両では普通車の座席に簡易リクライニングシートを採用していたが、185系では通勤電車としての使い勝手も考慮し、こげ茶色のモケットを使用した転換クロスシートをシートピッチ910mmで配置した。この座席は117系の座席と同一機構であるが、背ずりの枕部分を分割形とし、座り心地やメンテナンス性の改善を図ったW-17形である。グリーン車は赤色のモケットを使用したリクライニングシートで、キロ182形気動車に使用されているものと同じR-27B形を、シートピッチ1,160mmで配置した。クハ185形・モハ184形・サロ185形には車端部にトイレと化粧室を設けた。便所はFRP製のユニットとしたが、完全密封タイプとして便所回りの水がユニットの外にこぼれない設計とすることで腐食防止対策の一環とした。ただし、地上処理施設の関係から、汚物処理装置は準備工事のみであった。200番台では妻面に換気用の小窓が設けられている。便所は全て和式である。電装品や台車については、基本的には117系で採用したものをそのまま踏襲した。主電動機については、出力120kWのMT54D形直流直巻電動機を採用し、各電動台車に2台ずつ装架した。主回路制御装置についても電動カム軸接触器式の制御装置であるCS43A形である。歯車比は17:82 (4.82) で近郊形電車と同様としたが、これは当時の使用線区においては最高速度が110km/hで、高速性能に重点を置いても効果が少ないことや、通勤時の稠密なダイヤに対応するために加減速性能に余裕を持たせるという理由が挙げられている。台車は、動力台車がDT32H形、付随台車がTR69K形で、いずれの台車も既に117系で採用実績のある空気ばね台車である。先頭台車のスロープロウは、0番台においては暖地向けとなるため装備していないが、200番台では設けられている。制動装置(ブレーキ)については、応荷重装置付発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ (SELD)を採用した。集電装置(パンタグラフ)は、菱形のPS16形をモハ185形の前位車端部に設置した。200番台ではばねにカバーを設けたPS16J形とした。冷房装置については、普通車では通勤時間帯を考慮し、通勤車両と同様の集中式冷房装置である冷房能力42,000kcal/hのAU75C形を採用した。グリーン車ではラッシュ時でも定員乗車と考え、冷房能力28,000kcal/hのAU71C形集中式冷房装置を搭載した。200番台の2次車では、普通車の冷房装置を省エネタイプのAU75G形に変更した。また、117系に続いて新鮮外気取入送風機を採用した。補助電源装置は、出力190kVAの電動発電機 (MG) であるDM106形をモハ184形に搭載したが、これは国鉄の電車では初採用となるブラシレスMGである。電動空気圧縮機は0番台ではモハ184形とサハ185形、200番台では横軽対策の一環でサロ185形にも搭載された。0番台とサロ185形200番台ではMH113B-C2000M形を、モハ184形200番台では誘導電動機を使用したMH3075A-C2000M形を採用した上で除湿装置を付加した。0番台では153系との併結を考慮し、クハ185形には本来のKE96形ジャンパ連結器のほかに、KE64形ジャンパ連結器を2つ装備した。200番台では165系との併結に対応させ、協調継電器箱を165系用に変更したほか、KE64形ジャンパ連結器の線番号を変更した。200番台に施工された横軽対策で、前述の点も含めて以下に列記する。1981年1月から順次入線し、田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)に配置された。同年3月26日より、まず153系の付属編成を置き換える形で運用が開始されたが、特急形車両でありながら、初運用は普通列車であった。急行「伊豆」に使用されたのは翌々日の同年3月28日からである。これらの運用途上では、153系と連結して運用されることもあった。同年7月までに0番台の115両が出揃い、同年10月1日からはエル特急「踊り子」7往復と、朝夕の普通列車10往復での運用が開始されたが、この時点では特急「あまぎ」に使用されていた183系を「踊り子」3往復に運用していた。また、153系の運用のうち、普通列車のみの運用については、113系が82両製造されて置き換えられている。明るいカラーリングにより新鮮なイメージは、利用客に好印象を与えたが、急行の全廃により特急に乗らざるを得なくなり、実質的な値上げという意見もあった。さらに、ピーク時間帯を外しているとはいえ、2扉クローズドデッキ車での普通列車運用は遅延を招く事態になっていた。185系が登場した頃には、既に東海道線においては2扉デッキ付きの車両による通勤輸送は困難になっていたのである。これに引き続き、高崎線で運用されていた165系を置き換えるために、1981年末から185系を63両製造することになった。この時の車両では、置き換えの対象となる165系の運用を考慮し、耐寒耐雪装備や横軽対策が施されることになり、200番台として区分されることになった。200番台は新前橋電車区(現・高崎車両センター)に配置され、1982年3月10日から165系の運用に投入を開始し、急行「あかぎ」で運用を開始、増備とともに急行「ゆけむり」「草津」「軽井沢」や普通列車で運用された。また、この年の8月16日には特急「白根」4号・5号に200番台が運用されたが、これが200番台では初の特急運用となった。一方、国鉄では東北・上越新幹線の建設を進めていたが、上野から大宮までの区間において用地買収が難航したため、「1982年春に大宮を起点とする暫定開業」を1980年12月に決定していた。この暫定開業時には、上野と大宮の間に新幹線連絡専用の列車を運行することとなり、この連絡列車にも185系を運用することとしたため、200番台は49両が追加製造される事になった。このとき、会計検査院からは「東北新幹線が東京まで乗り入れた場合は185系は余剰となる」という理由で反対があったが、「新幹線接続という一体感」のある新車による輸送サービスは最低限必要であり、新幹線開通後の185系は近距離特急に使用する予定であることを説明し、半年ほどかかって会計検査院の理解を得られたという。ともあれ、1982年6月23日の東北新幹線開業と同時に、185系200番台を使用した「新幹線リレー号」の運行が開始された。この時点では、「やまびこ」4往復と「あおば」6往復が設定されており、各列車に接続する運行体制であった。同年11月15日の上越新幹線開業からは、新幹線リレー号は28往復に増発された。また、この時から特急「谷川」・「白根」・「あかぎ」や、一部の普通列車にも運用が開始された。普通列車運用では、高崎から軽井沢・中軽井沢までの信越本線普通列車運用に投入され、碓氷峠を越えていたことが特筆される。この冬には、特急「谷川」が石打まで延長運転されるとともに、スキー客向けの臨時特急「新雪」にも185系200番台が運用された。翌1983年の夏には、特急「そよかぜ」のうち51号・52号が185系200番台で運用された。1982年から1983年にかけて、田町電車区の全編成に対して循環式汚物処理装置が設置された。1985年3月14日に、東北・上越新幹線が上野まで延伸開業したことに伴い、「新幹線リレー号」は廃止されることになった。これに伴い、それまで「新幹線リレー号」に使用されていた185系は、上野発着の急行の特急格上げに使用されることになった。この時に、東北本線・高崎線の特急のうち、首都圏近郊を運行範囲とする特急については「新特急」を冠する愛称に変更され、高崎線系統では「新特急谷川」「新特急草津」「新特急あかぎ」、東北本線系統では「新特急なすの」の運行が開始された。また、余剰となった200番台のうち4編成は新前橋電車区から田町電車区に転属となり、それまで「踊り子」の一部に使用されていた183系を置き換えた。置き換えられた183系は長野運転所へ転属した。このときに田町電車区に転属した4編成のうち、1編成は転属前に斜めストライプ塗装に変更されたが、その他の3編成は横帯1本の塗装のままで使用され、順次0番台と同様の斜めストライプに変更された。これによって、「踊り子」は全列車が185系によって運行されることになった。それまでクロ157を使用したお召し列車は田町電車区の183系が使用されていたが、田町電車区から183系が転出したことに伴い、185系がクロ157と連結して運用されることになった。1986年1月からは、スキー客専用列車「シュプール号」の運行が開始されたが、このうち「シュプール上越号」には田町電車区の185系B編成が運用された。1986年11月1日のダイヤ改正では、着席通勤を目的とした列車として「湘南ライナー」の運行が開始され、田町電車区の185系が運用されるようになった。「湘南ライナー」はその後も順次増発されたが、その一方で朝夕の普通列車運用は減少し、特に夕方の下り列車での運用は「湘南ライナー」に置き換えられて消滅した。1987年秋からは、新前橋電車区の185系を使用して、前橋から伊豆急下田まで直通する特急「モントレー踊り子」が土休日に運行開始されたが、この運用の間合いを利用して、東京と伊東を結ぶエル特急「踊り子」91号・92号にも運用された。1988年3月13日のダイヤ改正では、「新特急なすの」のうち4往復が廃止されたことに伴い「踊り子」増発用に転用されることになり、1988年3月11日付で7両編成×1編成が新前橋電車区から田町電車区へ転属した。その一方、このダイヤ改正からは、上越新幹線と連絡して高崎と長野を結ぶ快速列車「信州リレー号」の運行が開始されることになった。この列車は上越新幹線と乗り継ぐことで、長野から東京への日帰り滞在時間を1時間50分ほど拡大する目的で設定されたもので、これに新前橋電車区の185系が運用されることになった。1990年冬の運行を最後に「モントレー踊り子」は廃止された。1990年3月10日のダイヤ改正では、「湘南新宿ライナー」の増発が行われ、田町電車区の185系B編成が運用されるようになった。東北本線の「新特急なすの」が1往復を除いて快速列車に格下げとなったため、7両編成×2編成が新前橋電車区から田町電車区へ転属した。残った1往復は新宿発着となり、田町電車区の185系による運行に変更されている。この年の春には、臨時快速列車「ホリデーむさしの」が新設され、田町電車区の185系B編成が運用されたが、この運用の最後には高尾から新宿までの臨時快速列車としても運用された。臨時快速列車「ホリデーむさしの」は、この年の秋以降は富士急行線の河口湖まで運行区間が延長されると同時に167系に置き換えられた。1990年8月7日に運行された特急「そよかぜ91号」と、同年8月12日に運行された特急「そよかぜ92号」は田町電車区の185系B編成によって運行されたが、この列車で特筆すべき点は、グリーン車に天皇と皇后が乗車した「お召し列車」でありながら、グリーン車以外は一般乗客も利用可能な通常の臨時特急という運行形態であったことが挙げられる。なお、クロ157形との公式本線運転は1993年5月13日を最後に行われていない。田町電車区の185系のうち、B編成については1989年度に中央東線の狭小トンネルに対応したPS24形集電装置に、A6編成については1990年度にPS24形集電装置に、C編成については1990年度に追従性の向上を図ったPS21形集電装置への交換が行われた。1990年の1月から2月にかけて運行された臨時特急「かいじ」191号・192号には、田町電車区の185系B編成が運用された。1991年3月16日のダイヤ改正からは、東海道線の小田原と熱海の間の区間普通列車に田町電車区の185系C編成が運用された。これは分割併合のない列車としては唯一、付属編成が単独運用される列車であった。一方、同年夏には、上越新幹線と連絡して運行する臨時普通列車「軽井沢リレー」の2号・3号に新前橋電車区の185系が運用された。1992年3月14日のダイヤ改正では、「湘南ライナー」の一部が215系に置き換えられた一方、「新特急なすの」が上りのみ1便増発されることになったが、これにあわせて「ホームライナー古河」も田町電車区の185系で運用されるようになった。この年のゴールデンウィークには、八王子・新宿と成田空港を結ぶ臨時特急「ウイング」が田町電車区の185系B編成によって運行されたほか、同年秋からは新宿と日光を結ぶ特急「日光」の運行が開始され、157系と同様のヘッドマークを装着した田町電車区の185系B編成が使用された。1993年1月からは「シュプール白馬号」のうち3号・4号に田町電車区の185系B編成が運用された。1993年の夏からは、高崎地区から日本海側へ向かう海水浴利用者のために運行された臨時快速列車「青海川」の1・2号に、新前橋電車区の185系が運用されるようになり、185系では初めて日本海沿岸を運行する列車となった。同年12月1日のダイヤ改正からは、新宿発着の「新特急ホームタウン高崎」「新特急あかぎ」が設定され、田町電車区の185系A編成が使用されるようになった。一方で、東海道線の田町電車区の185系C編成が使用されていた普通列車運用は他の形式への変更や廃止が行なわれたため、C編成単独の分割併合のない列車への運用は消滅した。また、1993年から1994年にかけて、田町電車区のクハ185形とサロ185形については便所が洋式に変更された。この年の「シュプール号」では、「シュプール上越号」のうち2号・3号が田町電車区の185系B編成からグリーン車をはずした6両編成で運行されたが、この年から新設された「シュプール草津・万座」には新前橋電車区の185系が運用されることになった。この2列車は大船と新前橋の間を連結して運行する設定となったが、田町電車区の185系と新前橋電車区の185系が連結する運用はこれが初めてである。1994年度はスキー専用列車「シュプール号」の運行開始から10周年となるため、これを記念して「シュプール号」に特別塗装車両を導入することになり。新前橋電車区のS201+S202編成とS215+S216編成の2編成が特別塗装車両に選ばれた。この特別塗装はジョン・シェリーが原画を担当し、「列車に乗り込むときから少しでも気分が盛り上がる楽しい列車」になることをねらい、ブルーとホワイトのツートンカラーをベースに、動物たちと人間が一緒にスキーを楽しむというイラストが描かれたものであった。「雪よ、降れ!」という願いと、また冬や雪への気持ちを「いっぱい」 (="full") 乗せて走る列車という意味を込めて「フルフル」と命名された。この2編成は、1995年1月6日から同年3月27日まで、グリーン車を外した6両編成で、「シュプール上越3号・2号」と「シュプール草津・万座」に限定運用された。「シュプール号」運行終了後は、5月までそのままの色で他車に合わせて「フルフル」塗装としたグリーン車を組み込んだ7両編成で通常運用に入った。1995年9月から1998年11月にかけて、新前橋電車区の200番台についてリニューアル工事が行われた。この工事では、普通車の座席を回転式リクライニングシートに変更し、より特急形らしい設備としたほか、化粧板の交換や床の塗り床加工、客室ドアをフットマット式からセンサー式へ交換されるなどの改装も行われた。。また、外部塗装デザインも、クリーム色をベースに上毛三山をモチーフとした黄色・グレー・赤色のブロックパターンを配したものとしたほか、側面に "EXPRESS 185" のロゴが入っていることが特徴である。1999年にはグリーン車の座席も交換された。一方、首都圏では1989年以降に土休日のみ運行の「ホリデー快速」が運行されていたが、1995年10月から11月の土休日では初めて「ホリデー特急」が運行された。これは大船と奥多摩を結ぶ「ホリデー特急おくたま号」・奥多摩と逗子を結ぶ「ホリデー特急かまくら号」・鎌倉と高尾を結ぶ「ホリデー特急たかお」の3列車が設定され、いずれも田町電車区の185系5両編成が使用された。ヘッドマークは「特急」という文字が入ったものを表示した。同年12月1日のダイヤ改正では、東北新幹線の列車名に「なすの」が新設されることに伴い、田町電車区の185系を使用していた「新特急なすの」は「ホームタウンとちぎ」「おはようとちぎ」に列車名が変更された。1996年には横浜から横浜線経由で中央東線へ直通する臨時特急「はまかいじ」へ運用するため、田町電車区のB3・B4・B5編成については京浜東北線・根岸線への入線に対応したATC装置の取り付け改造が行われた。この改造により、該当編成のクハ185形は定員が4名減少した。1997年9月30日限りで信越本線の横川と軽井沢の区間は廃止となったが、廃止直前まで高崎と軽井沢を結ぶ普通列車として185系が運用され、185系は定期普通列車では最後に碓氷峠を越えた形式となり、その折り返しに設定された臨時回送列車に使用された185系が最後に碓氷峠を越えた旅客車両となった。なお、153系・165系との連結に対応して設置されていたKE64形ジャンパ連結器については、0番台については全て撤去し、200番台については栓受けのみ残している。また、転落防止用外幌の設置については、田町電車区の車両については2002年に、新前橋電車区の車両については2004年に行われている。1996年から1999年にかけて、全編成の先頭車前面の列車番号表示器がLED式に変更された。1998年には田町電車区のサロ185形について、バケットタイプの座席への交換が行われた。また、翌1999年から2002年にかけて、田町電車区の185系においてもリニューアル工事が行われ、普通車の座席がリクライニングシートに交換されたほか、化粧板の交換などが行われ、普通車の仕切り扉はマットスイッチ式からセンサー式に変更された。また、外部塗装デザインは湘南色をあしらったブロックパターンへ変更された。2004年10月15日限りで、高崎線で上り1本だけ残っていた普通列車運用から185系は外れた。その後、JR東日本の車両の検査体制の見直しに伴い、高崎車両センターに配置されていた185系は、全車両が2006年3月18日付けで、大宮総合車両センターへ転属となった。この転属後、高崎と横川の間に設定されていた間合い運用の普通列車は185系の運用ではなくなり、以後185系の普通列車は通勤ライナーを除けば東京7:24発の伊東行き(列車番号521M)1本だけとなった。2010年9月、吾妻線の優等列車の愛称である「草津」が1960年の運行開始から50周年となること(「草津」の愛称は、長野原線当時の準急列車に初めて冠されたもの)を記念し、大宮総合車両センター配置のOM03編成が80系電車を模した黄かん色と緑2号のツートンカラー(湘南色)に塗装変更された。また、2011年には特急「踊り子」の運転開始30周年記念として、7月14日に全般検査を出場した田町車両センター配置のA8編成が、登場当時の斜めストライプ塗装に変更されて登場した。この時点で、既に「157系の塗装に変更」という構想はあったが、「群馬県ディスティネーションキャンペーン」の開催などのイベントが相次いでいたためその余裕はなく、実現は2012年に入ってからとなった。キャンペーン終了後に話題性のある列車設定が発案され、2012年2月29日に大宮総合車両センターOM08編成が157系と同様の塗装に変更された上で全般検査から出場して運用開始、3月3日に運行された臨時特急「上州踊り子」「あまぎ」にも使用された。この年の6月には、田町車両センターのC1編成が斜めストライプ塗装に復元され、同年6月23日より運用を開始した。2013年3月16日のダイヤ改正では、田町車両センターに配置されている車両がすべて大宮総合車両センターに転属した。これと同時に、改正前から大宮総合車両センターに所属の編成については、グリーン車の連結位置が田町車両センターに配置されていた車両に合わせて変更されたほか、方向転換を順次実施して車両の向きを揃えた。なお、編成番号については転属後も変更されていない。このダイヤ改正以後、OM編成とB編成は共通運用されるようになった。また、このダイヤ改正では、朝方に東海道線で残っていた185系の伊東行き普通列車の運用が途中の熱海までE231系に置き換えられ、普通列車運用は熱海-伊東間に縮小された。また、同センター東大宮センターとの間の車両の回送ルートに武蔵野線が使用されるようになったが、上野東京ライン開業後は同ラインを経由して251系とともに東大宮センターとの間を回送するようになった。なお、このダイヤ改正の前後から編成の組み替えが頻繁に行われている。まずOM編成では前述の方向転換の他に、湘南色となっていたOM03編成がB編成と同様の塗装デザインに変更されると同時に、グリーン車を抜き取り6両編成となった。B編成では、B1編成を除いて全ての編成からグリーン車が抜き取られ、このうちB2編成はB7編成からモハ185・184-231のユニットを加えて8両編成となり、またB7編成は4両編成となった。C編成では、C7編成がサハ185-7を抜き取って4両編成となった。なお、サハ185-7は長野総合車両センターへ配給回送された後、2013年4月1日付で廃車となり、本系列で初の廃車車両となったほか、B編成から外されたグリーン車は同年7月24日付・10月9日付の2回に分けて廃車となった。これらの動きは各種団体列車や波動輸送に使用されている同社の183系を置き換えるものと一部雑誌等で報じられており、実際に快速「ムーンライトながら」は2013-2014年冬季から185系で運用されるようになった。2014年4月にはA8編成・C1編成に続いてB7編成がストライプ塗装に復元された。2012年6月末時点では置き換え計画は未定とされていた185系であるが、2014年3月15日のダイヤ改正では、高崎線系統の特急が新宿発着の1往復を除いて651系に置き換えられたことにより、7両編成の特急運用が消滅したほか、最後まで残っていた伊東線の普通列車運用も消滅した。これを受けて編成単位で廃車が開始され、2014年5月13日付でB1編成が廃車になったことによって、グリーン車を組み込んだB編成は消滅した。一方、同年8月1日からは同年度末に開業した上野東京ラインの試運転に185系も使用され、同年8月2日・3日の試運転においてはOM06編成の編成の一部を組み込んで10両編成としたOM07編成が使用された。このOM07編成については編成中4両が2015年5月26日付で廃車となり、残る6両も同年6月5日付で廃車になった。さらに157系塗装だった大宮総合車両センターOM08編成についても、2015年3月に元田町車と同じ斜めストライプ塗装となった。当初から大宮配置のOM編成でこの塗装は初めてとなる。一方、「踊り子」については、2013年3月1日の共同通信社のサイトで、JR東日本役員のコメントとして「羽田空港の国際線拡大によって利用者が減少した『成田エクスプレス』を減便して、余剰となるE259系への置き換えの検討」が報じられ、2013年9月16日のスポーツニッポンのサイトでは、「中央本線に導入されるE353系によって捻出されたE257系の転用先として『踊り子』などが候補に挙がっている」と報じられたが、2015年11月時点では具体的な発表や動きは確認されていない。2016年のダイヤ改正により、高崎線の特急列車から185系が淘汰され、651系に統一。定期運転としては東海道線の特急踊り子、湘南ライナー、ホームライナー小田原のみの運用となる。下記の編成表では、臨時列車に運用する際に行われる編成変更(たとえば「シュプール号」に運用される際にグリーン車をはずした6両編成で運行した事例など)については、細かく記載しない。0番台は全て田町電車区→田町車両センターに配置されていたが、2013年3月のダイヤ改正で大宮総合車両センターに移籍した。なお、下記の編成表は2013年3月16日時点のものである。下記の編成はすべて2013年3月のダイヤ改正で大宮総合車両センターに移籍した。全編成、大宮総合車両センター配置。本表では車両番号・編成番号のみ記述する。
出典:wikipedia
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