乾 正行(いぬい まさゆき、生年不詳 - 1650年1月20日(慶安2年12月18日)は、江戸時代初期の土佐藩士。土佐乾氏(板垣流)の2代目。前名山内平九郎、のち乾金右衛門と称す。家禄は300石。妻は毛利治郎右衛門の娘。家紋は「榧之内十文字」。永原刑部一照の次男として生まれる。父一照は、宇多源氏佐々木氏の分流永原氏で、山内一豊に仕えて功多く、山内姓と偏諱「一」の字を賜い山内刑部一照という。一照の長男を永原但馬一長と言い、のち山内金右衛門一長と称したが、ゆえあって改易された。正行はその弟で、はじめ永原(山内)平九郎と言い、乾加兵衛正信の養子となり、乾平九郎正行と名乗る。実兄改易の時は既に乾家に入っていたため連座を免れた。のち兄の名「金右衛門」を襲名し乾金右衛門正行と改めた。養父正信死去ののち、慶長年中養父跡目高1000石の内、300石を下し置かれ相続する。1614年(慶長19年)、江戸御城の御普請の時、普請御用を仰せ付けられた。1650年1月20日(慶安2年12月18日)病死。
出典:wikipedia
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