中川 俊思(ながかわ しゅんじ、1903年1月20日 - 1973年11月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(8期)。前衆議院議員中川秀直の義父、衆議院議員中川俊直の祖父。広島県加茂郡荘野村(現竹原市)出身。堀川市助の三男に生まれ、禎助の養子となる。中央大学法学部中退。中国新聞や國民新聞の記者を経て1949年の第24回衆議院議員総選挙に吉田茂率いる民主自由党公認で広島2区から立候補し初当選、通算8回当選(当選同期に池田勇人・佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。保守合同後は自民党に参加する。この間衆院商工、農林水産、決算各委員長、衆院海外同胞引揚および遺家族援護に関する特別委員長、厚生、通産各政務次官などを歴任した。趣味は読書、碁、ゴルフ。宗教は仏教。住所は東京都新宿区東五軒町、広島県豊田郡豊栄町。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選し、政界を引退。1973年11月30日死去。享年70。地盤は娘婿の中川秀直が引き継いだ。昭和34年3月6日第31回国会商工委員会において,当時,通商産業政務次官であった中川俊思は,突然歯痛のために国会に連絡をせずに銀座の歯科医院に行き,委員会を流会させたというエピソードを持つ。
出典:wikipedia
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