パリの12区 (12く、仏:) は、フランスの首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである 。第12区、パリ12区ともいう。市の南東部に位置しており、ヴァンセンヌの森を含む。セーヌ川の北岸に面している。パリの12区は、市の南東部にある行政区。「ルイイ区 ()」と呼ばれることもある 。セーヌ川の北岸に面しており、ペリフェリック (パリ環状道路)外のヴァンセンヌの森を含む。20区のうちでは面積が最も大きい。人口は、136,591人 (1999年。人口の推移等詳細については後述)。区の名称は、市の中央部から時計回りに螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその12番目にあたることから、「12区」と名づけられた。オペラ・バスティーユ、リヨン駅 (ガール・ド・リヨン)のほか、セーヌ川に沿った地域には経済・財政・産業省、パリ交通公団本社 (RATP)、シネマテーク・フランセーズ、ベルシー・アリーナ、ベルシー公園などがある。また、ヴァンセンヌの森には、パリ動物園、パリ花公園、ヴァンセンヌ競馬場、ジャック・アンクティル自転車競技場などがある。12区は、パリの南東部に位置している。セーヌ川の北岸に面しており 、ペリフェリック (パリ環状道路)外に突出するヴァンセンヌの森を含む。面積は16.32 平方キロメートルで、20区のうちでは最も大きい。ヴァンセンヌの森を除くと、面積は6.38 平方キロメートルとなる。北は、同じパリの行政区である11区に接し、北東の一部は20区に接している。南は、セーヌ川を挟んで5区と13区に接している。5区に接しているのはオステルリッツ橋以西のわずかな距離で、以東は全て13区に接している。東は、ヴァンセンヌの森の突出部を除き、ペリフェリックに沿う形でパリ市の境界線が敷かれ、ヴァル=ド=マルヌ県のサン=マンデ、シャラントン=ル=ポンの各自治体に接している。西は4区に接し、北西の角はバスティーユ広場となっている。ヴァンセンヌの森は、ペリフェリックの東に向けて突出部を形成しており、西を除く全方向をヴァル=ド=マルヌ県の各自治体に囲まれている。北西はサン=マンデ、北はヴァンセンヌ、北東はフォントネー=スー=ボワ、東はノジャン=シュル=マルヌ、南東はジョワンヴィル=ル=ポン、南はサン=モーリス、南西はシャラントン=ル=ポンの各自治体に接している。パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。12区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。12区の人口は、1962年には161,574人となり、ピークに達した。その後は減少を続けたが、1990年の130,257人を底に再び増加に転じ、1999年にはピーク時の15パーセント減の136,591人となった。2005年の推計では138,300人と見積もられており、人口の増加が見込まれている。また、人口の減少とともに人口密度も減少しており、1999年の人口密度(区の面積からヴァンセンヌの森を除いて算出)は、ピーク時の15パーセント減の21,419人となっている。人口の推移の詳細は、次のとおりである。1860年にティエールの城壁内のコミューンの全部または一部がパリに併合されたが、現在の12区付近では、ベルシー及びサン=マンデの各一部が併合された。このとき、これらの領域と旧行政区の8区の概ね半分(残り北半分は現在の11区となった。)を含む形で12区の区域の設定が行われた。ヴァンセンヌの森は、1860年にナポレオン3世によってパリの土地となったが、公式に12区に併合されたのは、1929年4月18日デクレによってである。セーヌ川に架かる区内の橋は、次のとおりである(上流から順に列挙)。パリの「広場 (プラス、)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスクや緑地等に利用されている場合もあり、凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。12区の広場や交差点には、次のようなものがある。
出典:wikipedia
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