hyde(ハイド、本名:寶井 秀人(たからい ひでと)、1969年1月29日- )は、日本のシンガーソングライター。L'Arc〜en〜Ciel、VAMPSのボーカリスト。元P'UNK〜EN〜CIELのギタリスト。ソロではHYDE名義で活動。妻はタレントの大石恵。身長161cm。身長、体重、生年月日などのプロフィールを完全に隠して活動していたが、音楽雑誌『ROCKIN' ON JAPAN』2002年4月号で生年月日(1969年1月29日)および出身地(和歌山県和歌山市)を公表したことから、L'Arc〜en〜Cielのファンクラブ会報である「LE-CIEL」内でも生年月日を公表した。また、身長については、インターネット上では156cmとの説が流布されていたが、2012年1月29日出版の自伝書『THE HYDE』の中で161cmだと明かしており、同時に本名も述べている(先述の156cm説に関しても同書に記述がある)。ただし、これらの情報は現在まで公式サイト上では発表されていない。好きな音楽ジャンルとして、イギリスのニュー・ウェーヴやゴシック・ロック、アメリカのハードロックやヘヴィメタル、ハードコアなどを挙げている。具体的にはデペッシュ・モード、The Mission、ザ・キュアー、GBHを好きなバンドとして挙げている。他にもデヴィッド・シルヴィアン (ジャパン)、デュラン・デュラン、 モトリー・クルー、ニルヴァーナ、レディオヘッド、メタリカ等を好んでいる。邦楽ではオフコース(小田和正)やGASTUNK、DEAD ENDを好んで聴いている。特にDEAD ENDから大きな影響を受けており、DEAD ENDのトリビュートアルバムにも参加している。アーティストとの交友関係が広く、ミュージシャンではyasu(Janne Da Arc・Acid Black Cherry)、明希(シド)、清春(黒夢・SADS)等と親交がある。また、NEWSの手越祐也とは2人だけでスノーボード旅行に行ったり、お互いのiPhoneケースをお揃いにしたりしている仲である。トイズフィールドとのコラボレーションや、アレックスストリーター及び画家の金子國義は、HYDEが金子にFAITHのアルバムジャケットの制作を依頼したことから交友関係がある。宮崎駿監督作品『ルパン三世 カリオストロの城』などに影響を受け、小学生の頃からアニメーターを目指す。中学の頃は、絵を描いたり、友人達と軍服を着て山や海でキャンプをするという生活を送り、中学卒業後、大阪にあるデザイン専門学校のグラフィックデザイン科へ入学するが、周りの影響でギターを始めたことから興味の対象が移り、音楽の道へ進むことになる。絵が上手いことを活かし、L'Arc〜en〜Ciel初期のライブ告知ポスターなどのデザインや、現在でもソロ活動時のプロモーションビデオの絵コンテを自ら描いている。また、作詞するとき、製作中の曲を聴いて浮かんできたイメージを画用紙に絵を描き、それを見て歌詞を作っていた時期があった。音楽活動当初、しばらくはどのバンドの固定メンバーにもならず様々なバンドのセッションに参加していた。その後Kiddy Bombsというバンドのギタリストが脱退したため代わりに加入、このバンドで後にL'Arc〜en〜Cielのドラマーとなるperoと出会う。Kiddy Bombsでの行き詰まりを感じ始めたhydeはperoらを誘いJelsarem's Rodを結成。その直後Jelsarem's Rodのギタリストとベーシストを探して参加したセッション大会で出会ったtetsuyaから一緒にバンドを作ろうと話を持ちかけられるが、Jelsarem's Rodの結成直後だったために断った。しかし、Jelsarem's Rodでも行き詰まりを感じたhydeは話を断ってからも積極的に声をかけてきていたtetsuyaと兵庫県西宮市でセッションをする。このセッションで手応えを感じたhydeはJelsarem's Rodを解散、peroと共にL'Arc〜en〜Cielの結成に参加する(その後の活動はL'Arc〜en〜Cielを参照)。Jelsarem's Rodの活動中は、ギタリストとベーシストにhydeが弾き方を教えていたという。また、tetsuyaからの誘いに対して、hydeの決め手となった言葉は、「自分(tetsuya)とバンドをやっていた方が絶対にhydeのためになる。」だった。L'Arc〜en〜Ciel活動開始直後まではhideと名乗っていたがX JAPANのhideと紛らわしい為にhydeへと改名した(偶然にも、本名も同じく「秀人」である)。L'Arc〜en〜Cielが活動初期に無料配布したビデオ『L'Arc-en-Ciel』の冒頭ではHIDEと表記されている(エンディングのスタッフロールではHYDEと表記されている)。2000年12月25日、タレントの大石恵と入籍。2003年、第1子誕生。2008年には、自身のソロ活動において共同プロデューサー兼ギタリストとして参加していたK.A.Zと共にロックユニット、VAMPSを結成した。国内外合わせて300本ものライブを行い、全国のZeppにて連続公演を行う籠城型ツアーをはじめ、アリーナ公演、夏の野外公演など、多彩なステージで公演を行っている(その後の活動はVAMPSを参照)。HYDEはhydeのソロ活動時の名義。バンド活動時はhydeと小文字表記だが、ソロの場合はHYDEと大文字表記となる。所属レコード会社はHAUNTED RECORDS (Ki/oon Records)。2001年に「静」をテーマに活動をスタートさせ、シングル3枚、アルバム1枚をリリース。この初期の3部作、「evergreen」「Angel's tale」「SHALLOW SLEEP」の初回版の棺型のCDケースは本人の強い希望で実現に至った。2003年からは、ロックバンド、Oblivion DustのK.A.Zが共同プロデューサーとして参加し、活動方針を「動」に180度転換しバンドスタイルで再始動した。同年8月1日には野外ロック・フェスティバル「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2003」にシークレットゲストとして出演した。2005年にはK.A.Zがギタリストとしても参加しに、再び活動を開始した。NANA starring MIKA NAKASHIMAへの曲提供や、映画『ステルス』の日本語版主題歌を担当し話題を集めた。また、同年に自身が主宰しハロウィンイベント「HALLOWEEN OF THE LIVING DEAD」を開催した。自身のほかにMONORAL、UVERworld、OLIVIA、HIGH and MIGHTY COLOR、中島美嘉、yasu(Janne Da Arc)が出演した。以後は自身が結成したロックユニット、VAMPSが主宰しハロウィンの時期にイベントを開催している。2006年2月発売のシングル「SEASON'S CALL」ではK.A.Zが作曲を担当するなどバンドの形相を呈してきた。さらに、2006年にはライブツアー「HYDE TOUR 2006 FAITH」で日本全国を回った。2009年には、ソロの集大成となる初のベストアルバム『HYDE』をリリース。これまでのシングル7作品とカップリング、及びアルバム3作品から曲がセレクトされ、これとは別に、新たに前述の中島美嘉への提供曲「GLAMOROUS SKY」の全英語詞によるセルフカバーを収録している。ベストアルバム発売以降ソロ名義による新譜はリリースされていないが、ライブイベントは時折開催されており、ソロ活動10周年となる2011年には「10TH ANNIVERSARY PREMIUM LIVE -ROENTGEN NIGHT-」、2014年には「HYDERoom Presents 黒ミサ 2014 in Furano」が開催された。他にもANIS (MONORAL)、武田真治がアルバム『666』にサックスで参加。sakura (ex.L'Arc〜en〜Ciel、SONS OF ALL PUSSYS、ZIGZO) がライブに参加している。
出典:wikipedia
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