ポリカルポフ I-16(露: 、 Polikarpov I-16)は、ソビエト連邦のポリカルポフ設計局の開発した単葉戦闘機である。戦間期から第二次世界大戦の初期にかけて労農赤軍の主力戦闘機を務めた、世界最初の実用的な引き込み脚を持った戦闘機である。木製の太く短い胴体を持つ本機の外観は、アメリカ合衆国製の高速レース機であるジービー・レーサーに類似して、極度に寸詰まりな形態となっている。機首のエンジンカウリング前面にシャッターを設け、厳寒時にエンジンがオーバークールとなることを防止している。1933年に試作機のTsKB-12が完成、12月に初飛行した。時代に先駆けた機構的な特徴は、パイロットの人力によってワイヤ駆動で作動する引き込み脚で、速度は配備当時世界最速であり、実戦でも九五式戦闘機やHe 51など複葉戦闘機を性能的に圧倒した。スペイン内戦、ノモンハン事件、独ソ戦の初期、ソ連・フィンランド戦争に使用されたが、この時期の航空機の進歩は目覚しく、いずれの戦闘でも敵方により新しい高性能の戦闘機が現れたことで、不運にもある意味で「やられ役」を演じることとなってしまった。それでも、ソ連ではI-16を操縦する撃墜王が幾人も誕生した。だが、ドイツ国防軍がソ連に侵攻した1941年時点ですでにI-16は相対的に旧式化しきってしまっており、その後も戦闘機や戦闘爆撃機として運用が続けられたものの、より高性能なYak-1やLaGG-3、MiG-3が登場すると、徐々にそれらに取って代わられていった。1932年の設計着手時には、複葉機全盛の中で、純片持式低翼単葉、純モノコック構造の胴体、引込脚、スライド式の風防、推力式単排気管など、新機軸を盛り込んだ意欲的な設計であった。各種の派生型を合わせ、1941年までに8,644機(9,450機とも)が作られた。第二次世界大戦勃発時には旧式化していたが、新たなタイプが再生産され、1943年頃まで対地攻撃任務などに運用された。そのずんぐりした機体からソ連兵からはイシャク(Ishak、ロバ)スペイン内戦の兵士からはモスカ(Mosca、ハエ)、ラタ(Rata、ハツカネズミ)などの愛称で呼ばれた。南京抗日航空記念館で、実機が観られる。塗装は暗緑色で国籍マークは青天白日。1993年から、ニュージーランドのパイロットであり事業家のTim Wallisの所有するAlpine Fighter Collectionが、ロシアで発見された6機のI-16と3機のI-153をノヴォシビルスクのSoviet Aeronautical Research Institute (Sibnia)によって飛行可能な状態にレストアすることを計画した。 レストアされた最初の機体 (I-16 "9") の初飛行は1995年に行われた。レストアされた機体は鉄道でヴラジヴォストークに輸送され、そこから香港経由でニュージーランドまで船で輸送された。この計画は3機目のI-153がニュージーランドに到着した1999年に完了した。さらに7機目のI-16が後にアメリカ人収集家のJerry Yagenのためにレストアされた。関連機
出典:wikipedia
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