国鉄S90形コンテナは日本国有鉄道(国鉄)時代に試作された12ftコンテナ(事業用コンテナ)である。1985年(昭和60年)3月14日をもって、貨物列車における車掌業務は廃止されたが、それ以前は列車の最後尾に緩急車や車掌車が連結されていた。1959年(昭和34年)に汐留 - 梅田駅(現・梅田信号場)間を結ぶ特急コンテナ列車「たから号」の運用が開始されると、コンテナと同じ黄緑6号で塗装されたヨ5000形や、後継形式のヨ6000形が連結・運用された。しかし列車の運用速度が従来の85 km/hから100 km/hに引き上げられると、構造上、最高速度が85 km/hに留まるヨ5000形やヨ6000形では対応できなくなるという問題が生じ、車掌車をどのように扱うかが重要な課題となった。そこで100 km/h走行に対応した構造のヨ9000形2両(ヨ9000・ヨ9001)が試作され、試験運用されたが、あまり良い結果は得られず、失敗に終わった。次なる方法として「車掌室をコンテナ化して、フォークリフトなどの荷役装置を用いて、任意で載せ降ろしできるようにしたらどうか」という案が浮上した。コンテナ化させた車掌室をコンテナ車に載せれば、最高速度の問題解決に加え、車掌車を連結させる手間も省けるという事で、本形式が試作形として1973年(昭和48年)に製造された。個数は1個のみで、目的は試験運用を行って、その評価を得る事だった。外観はコキフ10000形やコキフ50000形の車掌室部分と似ている。本形式は事業用コンテナのため、荷重と容積は含まれていない。試作形という事もあり、試験運用期間中にいくつかの課題が生じた。電源の供給方法や便所の汚物処理方法、尾灯に生じた課題は解決したものの、その他の課題は解決されないまま試験運用は終了。結局実用化の目途は立たずに終わった。本形式が実用化される目途が立たなくなると、列車における車掌業務はコキフ10000形に引き継がれた。一方、運用を終えた本形式は長期にわたって塩浜操車場(現・川崎貨物駅)構内に置かれていた。吉岡心平「昭和50年の貨車情勢」『季刊ジェイ・トレイン』 イカロス出版 2008年 Vol.31
出典:wikipedia
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