リマ()は、ペルー共和国の首都並びに政治、文化、金融、商業、工業の中心地である。人口約800万人で同共和国最大。南米有数の世界都市であり、2010年の国際連合の統計によると、近郊を含む都市圏人口は894万人であり、世界第27位である。チャラと呼ばれる海岸砂漠地帯に位置する。リマは植民地時代に建てられた建物が多く残るセントロ地区(1988年、ユネスコの世界遺産に登録)と海岸沿いの新市街に二分される。リマは1535年にインカ帝国を征服したスペイン人のコンキスタドール、フランシスコ・ピサロによって築かれた。リマの名前の由来は市内を流れるリマック川(río Rimacが訛ったもの)に由来すると言われているが、当初の名前は"(諸王の街)であった。インカ帝国の支配が及ぶ前の先コロンブス期には既に現在のリマの場所にはいくつかのアメリカンインディアンのグループが居住していたと考えられており、大地神を信仰するを形成していた。3世紀から8世紀ごろにかけてルリン河谷のを中心に発展したもので、この地にはいくつかの独特な遺構が残されている。インカ時代に入ると巨大な太陽神殿や月の館が建設され、宗教的な中心地の役割を果たすようになった。1535年1月18日に、インカ帝国を征服したスペイン人のフランシスコ・ピサロらコンキスタドーレス一行は、リマック川右岸のリマの首長、タウリチェスコの館で、スペイン式の儀式に基づいて「副王たちの都」("La Ciudad de los Reyes")を創設した。場所の選定として最初はアンデス山脈中腹のが候補に上ったが、高度と海路交通の不便さなどから見送られ、太平洋に面したリマク川の畔のリマの地が選定された。1542年にリマはペルー副王領の首都に指定され、ヌエバ・エスパーニャ副王領のメヒコ市と共に、それまでのイスパニョーラ島のサント・ドミンゴに代わってアメリカ大陸におけるスペイン植民地支配の中心地となった。16世紀から17世紀を通して、リマはスペインによる南米植民地支配の拠点として、アルト・ペルーのポトシや銀山の銀がヨーロッパに輸出されるための中継地点となったことで栄えた。1551年には南米最古の大学であるサン・マルコス大学が創設された。1614年には人口は25,000人を数えており、リマの発達と共に都市文化が栄え、サン・フランシスコ教会やトーレ・タグレ邸などの華やかな建築物が建造された。1687年と1746年の大地震は多くの建築物を破壊したが、リマの栄華は失われなかった。1761年に着任した副王アマトは大規模な都市計画や演劇の振興を行い、知識人の文化が栄えた。一方リマにはアフリカから連行された奴隷や、都市に流入した先住民系の住民、メスティーソなどの人々も存在し、白人上流階級の文化とは別に彼等独自のクレオール文化が育まれた。1808年のナポレオン・ボナパルトが自身の兄をスペイン王ホセ1世として即位させると、それに反発する民衆蜂起からスペイン独立戦争が勃発、イスパノアメリカのクリオージョ達は、ホセ1世への忠誠を拒否し、ラテンアメリカ大陸部の独立戦争が始まった。リマのクリオージョは特権を失うことを恐れて独立に消極的だったが、1821年にアルゼンチンからホセ・デ・サン=マルティンがリマを解放し、独立宣言を発した。その後リマは独立勢力の混乱の中で再びスペイン王党派軍に奪回されたが、最終的にシモン・ボリーバルとアントニオ・ホセ・デ・スクレがでペルー副王率いる王党派軍を壊滅に追いやったことにより、ペルーの独立は確定した。独立後のペルーの政治は安定せず、各地でカウディージョが跋扈していたが、が一定の安定を実現すると、ペルーはグアノの輸出によって近代化を実現しはじめ、ガス灯や鉄道が建設され、1872年に都市計画のためにリマの城壁は破壊された。また、19世紀の半ばからヨーロッパや清(中国)からの移民がペルーに導入され、19世紀末には日本人移民も導入された。これらの移民はコスタの大農園で労働者として働いた後に、多くはリマに流入して小商店主などになった。1879年に勃発した太平洋戦争でペルーが劣勢に陥ると、1881年にチリ軍はリマを占領した。チリの支配は二年間続き、アンコン条約が結ばれるまでチリ軍は撤退しなかった。1940年には大地震が起き、以降スラムの建設が盛んになった。また、同年満州事変以来高まる反日感情を背景に、排日暴動が勃発した。第二次世界大戦後にはペルー各地から人々が移り住んできたことから市街が急速に拡大し、一大都市へと変貌していき、人口は1940年の35万人から1980年までの40年間で実に11倍も増加している。1968年に軍事革命でベラスコ将軍が政権を握り、ペルー革命が始まると、リマ周辺のスラムは「若い町」(プエブロ・ホーベン)と呼ばれ、スラムでの自治運動が推進された。南緯12度36分、西経77度12分に位置し、市内をリマック川が東から西に流れ市を2分している。北にHuaral郡、南にCañete郡、東にCanta郡とワロチリ郡、西に太平洋と面している。南緯12度と低緯度であるが沿岸を北流するペルー海流の影響によって気温は低く、最暖月の2月で22.5℃、最寒月の8月で15℃となる。曇天の日が多いが、海岸砂漠地帯(コスタ)に属し年間降水量は30mm程度である。平均温度は18℃で平均湿度は87.1%であるが、冬は毎日のように海霧がたちこめ湿度は常に100%近くになる。降水量が少なく、ケッペンの気候区分では砂漠気候(BW)に属する。リマ市の民族構成は以下のようになっている。リマ郡は42の地区からなる。ペルーの中枢機関が集中しており、政治・行政の中心として栄える。産業面では織物・食品・皮革・ゴム・製粉といった工業が発達し、全国の工業生産の60%を占めるとともに、商業の80%がこの地に集中している。ミゲル·グラウ駅からビジャ・エル・サルバドール駅までの16駅の区間 (21.4km) を現在運行中である。この1号線は高架線であり、2014年2月現時、路面電車や地下線はまだ存在しない。開発中の2号線(地下線)は2016年開通予定である。リマの道路網は次の4つの形態に分類される。個人経営の大型 (Omnibus、Microbus) と中型 (Combi) のバスが走っており、決まったルートを走りながら客を集め、降りたい場所を告げれば降ろしてもらえる。2010年に開通した市営のバス高速輸送システム(BRT)。チョリージョス駅からインデペンデンシア駅までの38駅で構成された26kmの専用路線を2両編成のシャトルバスが行き交う。支払いはICカードで行う。タクシーは自家用車をそのまま転用している。目印はフロントガラスに張られている"TAXI"のシール。タクシーメーターがついていないので値段は乗る前に運転手と交渉することになる。旧市街から30分ほどのところに離れた海岸沿いにある高級住宅地。カジノ、高級ブティック、ホテル、レストラン等が建ち並ぶ。
出典:wikipedia
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