ロマン・マチエイェフスキ(Roman Maciejewski, 1910年2月28日 ベルリン – 1998年4月30日 エーテボリ)はポーランド人の作曲家。ベルリン・シュテルン音楽院に学び、その後はポズナニ音楽院でスタニスワフ・ヴィエホヴィチとカジミエシュ・シコルスキに、さらにワルシャワ音楽院で引き続きシコルスキに師事した。初期にカロル・シマノフスキから高い評価を受けている。1934年にパリに行ってナディア・ブーランジェに入門した。そのまま祖国ポーランドには帰らず、諸国を渡り歩いた。1938年までフランスに滞在した後、1939年までイギリスに、1951年にスウェーデンに、1977年までアメリカ合衆国に暮らし、その後は没年まで再度スウェーデンに落ち着いた。ピアノ曲《マズルカ》や合唱曲《クルピエ地方の歌》が示しているように、初期作品は、シマノフスキ後期の作曲様式に影響されていた。第2次世界大戦の悲劇と、最初のスウェーデン滞在中の病苦とにより作曲者自身の人柄にも深刻な変化が現れ、作風もそれに大きく影響された。それ以降は大作の創造に全身全霊を傾けた。それゆえ巨大な《死者のためのミサ曲すなわちレクィエム("Missa pro defunctis. Requiem" )》は、完成に1945年から1959年までの歳月を費やし、戦争や犯罪、圧政のすべての犠牲者に捧げられた。初演は1960年に、第4回「ワルシャワの秋」において実行された。このほかに約60曲のマズルカなどのピアノ曲と、室内楽や劇付随音楽も遺している。
出典:wikipedia
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