八卦掌(はっけしょう、Bāguázhǎng)とは、中国武術の一派。太極拳、形意拳と並んで内家拳の代表格とされる中国武術である。その名の通り八卦に基づいた技術理論、一般的な流派と違い拳より掌を多用する点、一見して舞踊のように見える動作が特徴であり、達人でもそれを自認している者は多い。名称からわかるように、動作の根本原理を易経の八卦思想で説明しているが、それらの理論は当然後世に構築されたもので、成立当初には無かったと考えた方が良い。基本歩型『擺歩』『邁歩』『扣歩』を始めとする様々な歩法の習得が重要視されており、里進外扣、平起平落、趟泥歩で円周上を歩く『走圏』を基本とする。套路の内容は門派によって異なるが、8種類の基本的な套路に始まって様々な套路・対練(約束組手)を学び、修業者はそれらを組み合わせるなどして習得してゆく。各種槍、刀、剣、棍、鉞など様々な武器術も存在する。清朝後期(19世紀の前半)、紫禁城の宦官であった董海川によって創始されたとされており、八卦掌という名称は後世になってから定着したものと考えられている。尹福の創始した尹派八卦掌、程廷華の創始した程派八卦掌、梁振圃の創始した梁派八卦掌を初めとして、多くの門派が存在する。八卦掌は名前の通り「拳」(こぶし)よりも「掌」(てのひら)を多用するのだが、掌に限定するわけでなく拳も用いられる。掌の形も、相手をつかんだり攻撃を流しやすくするために指先を大きく広げて構える形や、隠し武器(暗器)や指先で相手の急所を突くために指先をそろえて構える形など、門派により様々である。技の数は非常に多く、一見踊りを踊っているようにも見える動作には、非常に効果的な攻撃方法が含まれる。また、技の数は多いが、その中で一つだけ「A」という技だけをピックアップして練習することもできる一方、全く違う「B」や「C」などの他のあらゆる技と組み合わせて練習することも可能であり、動作を次々と移ることもできるように作られているという特徴を持つ千変万化の拳法といわれる。はじめに基本動作である「扣擺歩」、里進外扣で円周上を歩く「走圏 (Zǒuquán)」、歩く方向を変換する際に行なう「換掌式」、特定の姿勢で走圏を行なう「定勢八掌」、定勢八掌の変化である「八大掌」を練習する。その後さまざまな套路(八母掌の幾つかの動作を連結させたもの)や、武器術(子母鶏爪鋭、八卦大刀、八卦刀、八卦粘身槍、八卦剣、八卦棍、子母鴛鴦鍼、八卦判官筆、八卦七星杆など)などがある。基本的な構成は『走圏』→『換掌式』→『八種類の走圏(定勢八掌)』→『対応する八種類の掌法(八母掌)』→『八種類の掌法の変化(八母掌の直線/旋転変化)』であるが、その名称・動作・要求は派によって大きく異なる。これは伝承時期(初期の弟子と後期の弟子では内容が大きく異なる)によるものと、伝承者が八卦掌を学ぶ以前に修めていた武術の技術を加味したためである。以下中国で代表的な門派を例に挙げる。武術の中でも歴史は浅いほうであり成立年代は19世紀の前半(清朝後期のころ)と言われており、創始者は紫禁城の宦官であった董海川とされる。当時、董海川自身が「八卦掌」という名称を用いていたかどうかは定かでなく、その名称自体は後世になってから定着したものと考えられる。董海川は後に粛親王府の護院の長となったと伝えられているが、確かな記録はまだ見つかっていない。八卦掌の源流を道教の修行法とする人や他の拳術とする人もいるが、実際の所はわからない。成立過程の一つに羅漢拳が挙げられることもある。八卦拳を標榜する派、特に宮宝田派がこの説にこだわっている。二代目の尹福が羅漢拳を身につけていたからだが、開祖の董海川が羅漢拳を身につけていた形跡は見られないので、これも一つの伝説にしか過ぎない。(※ある技術が自派にのみ伝わり、他派に伝わっていないので自派が正統だとするのは武術の流派によく見られる言い方だが、その正当性を客観的に証明するのは困難である)董一族の住処であった村に八番拳というものが伝えられており、これが八卦掌の源流ではないかと北京体育大学の康戈武教授が論文を書いている。この八番拳に道教の円を巡る修行法・禹歩が加えられ走圏となったのではないかと推測している。また八番拳の套路には八大母掌との共通性が見られるという。かなり濃厚な説だが証明は難しい。他門派に比べて新しいこともあり、八卦掌の技術は他門派の優れた技術を多く取り入れている節がある。八卦掌は、他の「内家拳」門派と比べて練習体系が公開されていないためか、他の門派よりも一層神秘的に見られていることが多く、また動きが優雅なので誤解が多いが、実際には極めて攻撃的である。変化に富むのが特徴で、一般的に太極拳は柔らかい、形意拳は剛直と見られており、太極拳は柔を表す皮革球、形意拳は剛を表す鉄球に喩えられ、八卦掌は鋼の糸を編んだ鉄糸球と喩えられるが如く、剛でもあり柔でもある。形意拳一門と八卦掌一門が試合をしたとき全く勝敗がつかなかったため両者が話し合ったところ、共に同じ原理に基づく武術であると分かり、その後互いに相手の武術も修行することになったとの伝説が語られている。おそらくは程廷華が形意拳家と多くの交流をもったために生じた伝説だが、程廷華の交友関係により郭雲深、李存義、張占魁、孫禄堂等の形意拳との交流が多くなり、歴史的にも技術的な影響を形意拳から受けている派が多くなったことは事実である。八卦掌の門派は甚だ多い。その理由としては、董海川の元に集まった各地の達人たちに対して、董海川は各達人がそれまで学んできた武術にあわせて教授した点が挙げられる。よって、投げ技が主体の門派や打撃が主体の門派など、門派によって動作に大きな違いが見られる。開祖の董海川の門生は(以下、董海川の墓碑に記載のある順に)尹福(大弟子、呼称『痩尹』)、馬維祺(呼称『煤馬』)、史計棟(呼称『賊腿史六』)、程廷華(呼称『眼鏡程』)宋長栄、孫天章、劉登科、焦毓隆、谷毓山、馬存志、張釣、秦玉寛、劉登甲、呂成徳、安份、夏明徳、耿永山、魏吉祥、錫坤、王辛盛、王素清、沈長寿、王徳義、宋紫云、宋永祥、李万有、樊志湧、宋龍海、王永泰、彭連貴、傳鎮海、王鴻兵、谷歩云、陳春林、王廷桔、双福、李長盛、徐兆祥、劉宝貞、梁振蒲、張英山、郭玉亭、趙云祥、張金奎、焦春芳、劉鳳春、司元功、張鋒、清山、何五、何六、郭通海、徐鶴年、馮原廉、李寿年、孫泮。小門生(寿字輩で董海川より指導を受けた者)には張逸民、馬貴(尹福弟子)、楊峻峰(尹福弟子)、劉金印、文志、奎玉、王志、世亭、居慶元(尹福弟子)、劉印章、耿玉林。また碑上に記載されていない門生として李存義、張占魁、全凱亭、阮谷珍、劉徳寛、賈岐山、程殿華(程廷華の弟)等が居る。現在、伝承が確認されているのは、尹福、馬維祺、史計棟、程廷華、程殿華、宋長栄、張釣、宋永祥、樊志湧、李長勝(李長盛)、劉宝珍(劉宝貞)、梁振蒲、劉鳳春、李存義、張占魁、賈岐山、等の系統である。
出典:wikipedia
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