林 忠四郎(はやし ちゅうしろう、1920年(大正9年)7月25日 - 2010年(平成22年)2月28日)は、日本の宇宙物理学者、天文学者。京都大学名誉教授。文化勲章受章者。京都府京都市出身。天文学と原子核物理学・素粒子物理学とをつなぐ学問である宇宙物理学の日本における先駆者の一人。京都大学理学部物理学科・天体核物理学研究室の教授を27年にわたって務め、研究の一方で数多の優秀な理論物理学者や宇宙物理学者、天文学者や惑星科学者を育てた。また、教室の弟子の論文にはきちんと目を通し、好奇心をもって、論文発表などを聞き、疑問や質問点を聞いていたということである。論文審査などにおいて、自身が納得すると、就職や進学にあたり推薦状を快く書いたというエピソードも残っている。また、教室員と伴に、京都郊外の散策などの行事も企画し、数多くの教室員に慕われた。退官後、プログラミング言語(C言語)を学び、自らも計算していることを明かした。1920年(大正9年)7月25日、京都市上京区紫竹西南町(現・京都市北区紫竹西南町)に林誠次郎・ムメ夫妻の四男として生まれる。翌1921年(大正10年)7月12日、大叔父・林寛次郎の養嗣子となる。1927年(昭和2年)4月、京都市待鳳尋常高等小学校に入学し、1933年(昭和8年)3月、同校を卒業。同年4月京都府立京都第一中学校(現・京都府立洛北高等学校・附属中学校)に入学。京都一中を4年終了後の1937年(昭和12年)4月、第三高等学校理科甲類に入学し、1940年(昭和15年)3月、三高を卒業。同年4月、東京帝国大学理学部に入学し、1942年(昭和17年)9月、東大理学部物理学科卒業。東大卒業後は東大理学部嘱託及び海軍技術士官を経て1946年(昭和21年)に京大理学部の副手、次いで助手となる。1949年(昭和24年)4月、浪速大学(現・大阪府立大学)工学部助教授に就任。1954年(昭和29年)4月、理学博士号を京大より取得、京大理学部助教授に就任。1955年(昭和30年)、天文 - 物理の合同研究会をきっかけとして宇宙物理学・天体物理学の研究に専念。1957年(昭和32年)5月、京大教授。1977年(昭和52年)4月、京大理学部長となる。1984年(昭和59年)4月、退官し京大名誉教授となる。1987年(昭和62年)12月、日本学士院会員となる。2010年(平成22年)2月28日、京都市内の病院にて肺炎のため89歳で没した。林家は元来上賀茂神社の大工の棟梁を勤めた家系で、次いで大徳寺の大工の棟梁の家系となり、大徳寺の多くの建物に林家9代目当主林宗名の別名・林重右衛門の銘がある。林家の先祖は正大工河内守藤原宗久で、西加茂の林村に居住していたが、1708年(宝永5年)頃に大宮郷大徳寺新門前(現・紫竹西南町)に転居した。林姓を名乗ったことがでなのは宗名の代からである。忠四郎の生家は1807年(文化4年)に建て替えられ、2007年(平成19年)に重要文化財に指定される。明治維新後大徳寺は檀家の大名を失い経済力がなくなったため林家は大工を廃業した。この系図の出典は佐藤文隆編『林忠四郎の全仕事 - 宇宙の物理学』の120頁である。その業績をたたえ、また林自身の寄付金を元に、1996年から日本天文学会に林忠四郎賞が創設され、毎年優れた業績をあげた天文学者を表彰している。
出典:wikipedia
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