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日本人の宇宙飛行

本項目では、日本人の宇宙飛行について述べる。ここでは日本国籍を有する日本人の他にも、参考情報として日本にルーツを有するが日本国籍を有しない日系人についても記載する。また、アメリカ航空宇宙局 (NASA) やロシア連邦宇宙局 (RSA) の正式な資格を有する狭義の宇宙飛行士だけでなく、商業契約による宇宙飛行関係者についても本項に記載する。日本は現在まで、国内の技術で人間を宇宙空間に送り出し、地球へ帰還させることを実現していない。このため、日本人が宇宙飛行を行うには諸外国の宇宙船を利用するほかなく、現時点では少なくとも2025年頃までは諸外国の宇宙船を利用することを予定している。日本人の宇宙飛行として主に実施されているのは、日本政府が宇宙開発事業団(NASDA)と後継法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)の有人宇宙飛行事業として行っている宇宙飛行である。主な目的は宇宙環境を利用して様々な実験を行うことで、実験場所には当初はスペースシャトルを、2008年以降は国際宇宙ステーション(ISS)を利用している。また、日本の宇宙実験棟の「きぼう」の取り付けや組み立てなどISSの建設作業にも従事している。2009年からはソユーズを利用して地球とISSを往還している。古川聡が第29次長期滞在から帰還した2011年11月22日時点で、日本人の累計宇宙滞在時間はアメリカ人、ロシア人に次ぐ第3位となった。この他に商業契約による宇宙飛行も行われており、日本人初の宇宙飛行となった1990年の秋山豊寛の宇宙飛行は、世界初の商業契約による宇宙飛行であった。スペースシャトルの就役当初、搭乗する宇宙飛行士はアメリカ市民に限られており、日系人の宇宙飛行は、米国ハワイ州の米国籍日系三世であるエリソン・オニヅカが、NASAの宇宙飛行士として成し遂げたものが最初である。オニヅカは2度目の飛行でチャレンジャー号爆発事故に遭い、日系人で最初に宇宙飛行ミッション中に殉職した人物にもなってしまった。オニヅカはハワイ日系人社会を中心に、現在も英雄として記憶され、各地の施設等にも名を残している。オニヅカ以後、NASA宇宙飛行士として飛行した日系人はダニエル・タニのみである。日本人初の宇宙飛行は、TBS社員の秋山豊寛が果たした。民間人である秋山の宇宙飛行は、TBSの創立40周年事業で宇宙にジャーナリストを送る「宇宙特派員計画」として旧ソ連のミール宇宙ステーションに派遣したものであり、同社がソ連政府と契約を取り交わして行われている。1989年10月から、ソ連のモスクワ郊外の宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け、1990年12月2日、ソユーズ宇宙船TM-11で宇宙に飛び立った。訓練をはじめとする様々な活動はテレビ番組「日本人初!宇宙へ」で放送され、ミール滞在中は生中継を行うなど、宇宙開発(あるいは、冷戦時代は縁遠かったソ連そのもの)の素顔を日本国民に広く紹介した。ミールではニホンアマガエルの生態観察や、秋山が被験者となり睡眠実験が行われた。秋山の飛行以後、日本はアメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルを利用した宇宙開発事業団(NASDA)の有人宇宙飛行事業を通して有人宇宙飛行のノウハウを学ぶことを開始した。そして1992年のSTS-47で、NASDA宇宙飛行士の毛利衛がNASAのペイロードスペシャリストの資格で宇宙飛行を行い、日本人初のスペースシャトル搭乗者にもなった。次に日本人が宇宙飛行をしたのは1994年のSTS-65で、向井千秋は日本人女性で初めて宇宙飛行をした人物となった。NASAによりミッションスペシャリストの資格(スペースシャトルの運用や船外活動も可能な資格)が国際的に開放されると若田光一が日本人第一号となり、1996年のSTS-72でロボットアームによる衛星捕獲を行い、続いてSTS-87で土井隆雄が初めて船外活動を行った。これらの経験は、日本が国際宇宙ステーション(ISS)に設置する宇宙実験棟「きぼう」の開発にも活用されており、日本人宇宙飛行士は、将来的にきぼうを軌道上で組立・操作する立場からきぼうの開発に参加し、使い勝手を検証して設計に役立てたり、運用マニュアルを作成するなどの業務にも従事した。そして1998年からISSの建設が開始されると、日本人宇宙飛行士も一部のフライトに搭乗し建設作業に参加するようになり、2008年からきぼうの一部がISSに打ち上げられ始めると、打ち上げと組立ての際には、必ず日本人宇宙飛行士がシャトルに同乗もしくはISSに滞在し作業を担った。2003年には、日本の宇宙機関が統一して宇宙航空研究開発機構(JAXA)が設立され、NASDAの有人宇宙飛行事業がそのまま受け継がれた。また同年にはコロンビア号空中分解事故が発生し一時日本人の有人宇宙飛行も中断することになった。2009年の若田光一の第18次・第19次・第20次長期滞在は、日本人で初めてのISS長期滞在となった。また同年からISSの長期滞在人数が従来の3名から6名に拡大されたことで、日・欧・加の宇宙飛行士の宇宙滞在機会が増加することになった。このため、JAXAは訓練やバックアップのため、2009年に大西卓哉、油井亀美也、金井宣茂を宇宙飛行士訓練生として追加採用し、2011年に基礎訓練を終えた3名をJAXA宇宙飛行士に認定した。これら3名の新たな宇宙飛行士が最終訓練を終えて初飛行するのは2014年以降となる。なお、2011年時点までに毛利、土井、山崎が宇宙飛行士を引退している。また2009年のソユーズTMA-17で、正式な日本人宇宙飛行士の飛行としては初めてソユーズが使用され、野口聡一が日本人としては初めて宇宙船の操縦業務に携わった。2012年7月時点ではISS利用のための長期滞在が行われており、ソユーズを利用して年間1~2名の日本人が宇宙飛行をしている。またソユーズ宇宙船を利用した宇宙観光や、準軌道宇宙飛行に申し込む個人も現れているが、2012年現在、実際の商用観光飛行には至っていない。背景色が無色のものは、JAXAまたはNASDAによる日本人の宇宙飛行。■のものは、NASAによる日系人の宇宙飛行。■のものは、民間による日本人の宇宙飛行である。日付は協定世界時(UTC)。ISSは2024年まで運用されることが決定しており、日本人宇宙飛行士の飛行も2017年までは決定している。一方、NASAは有人小惑星探査や月面開発、有人火星飛行を目標に掲げており、欧州もこの歩調に合わせており、JAXAも月面開発への参加を具体的な計画はないながらも一応は掲げていることから、欧米のプロジェクトに日本人宇宙飛行士が参加する可能性がある。日本独自の有人宇宙飛行手段としては、H3ロケットやHTV-X発展型を将来的に有人宇宙飛行に活用する構想があるが、2015年時点では有人宇宙飛行に関する具体的な長期的戦略は存在しない状況にある。2006年に実業家の榎本大輔がソユーズ宇宙船でのISS観光飛行を予定していたが、宇宙飛行士であるための健康上の問題(一般人としては問題なしだったらしい)から延期され、後に契約を解除した。準軌道飛行(大気圏外まで上昇するが周回軌道には乗らない)には複数の日本人が申し込んでいるが、いずれも機体が完成しておらず、飛行時期は未定である。

出典:wikipedia

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