ネイティヴダイヴァー (') は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬。おもに西海岸で走り、ハリウッドゴールドカップ3連覇などの成績を残した。ザ・ダイバーの愛称で親しまれ、同時期に東海岸で活躍したケルソとともに、セン馬の名馬として知られている。20世紀のアメリカ名馬100選では第60位に選ばれている。ネイティヴァダイヴァーは母フリートダイヴァーと同様、シャピロ夫妻によって育てられた。フリートダイヴァーは父デヴィルダイヴァー、母父カウントフリートという良血馬であるにも関わらず、3,500ドルほどの安値であった。1961年9月のデビュー戦を圧勝で飾り、圧勝の連続で3連勝を飾る。年末には、カリフォルニアブリーダーズチャンピオンステークスに臨み、2番人気に支持されるが4着だった。この後、生来の激しい気性と首の高い走法を改善すべく去勢されるが、結果的にあまり効果は表れなかった。3歳時は5月のデボネアステークスで復帰し、勝ったり負けたりを繰り返していたが、11月のヒルズデールハンデキャップをレコードタイムで勝利すると、年末のマリブステークスまで4連勝を記録している。5歳時はサンフェルナンドステークスで、東から遠征してきた元2歳チャンピオン・クリムゾンサタンと対戦し、2着になった他、10月にはタンフォラン競馬場のウェストレイクハンデキャップでトラックレコード12馬身の圧勝劇を演じている。年末のゴールデンゲートハンデキャップでは59キロの斤量を課せられるが、これを克服し勝利している。6歳時はカリフォルニアンステークスで、ケルソと生涯唯一の対戦をしているが、結果はケルソが6着、ネイティヴダイヴァーが8着と、凡戦になってしまっている。7月には南アフリカから移籍してきたコロラドキングとアメリカンハンデキャップ、ハリウッドゴールドカップで連戦し、いずれも敗れてしまうが、この後年をまたいで5連勝を記録している。その後8歳まで走ったネイティヴダイヴァーはハリウッドゴールドカップ3連覇、カリフォルニアの6つの異なる競馬場で勝利などの記録を残し、カリフォルニアの競走馬としては、初の100万ドルホースとなった。デルマーハンデキャップをレコード勝ちしてからまもなく腸疝痛のために死亡した。遺体はハリウッドパーク競馬場のスタンド近くに埋葬された。2013年にハリウッドパーク競馬場が閉鎖されたため、2014年南カリフォルニアに埋葬先を移転する。
出典:wikipedia
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