有馬 則氏(ありま のりうじ)は、安土桃山時代の武将。有馬則頼の長男。羽柴秀吉の甥秀次に仕える。天正12年(1584年)4月9日、小牧・長久手の戦いに秀次に従い参戦したが徳川軍の迎撃を受け戦死した。播磨国淡河の天正寺に葬られた。有馬家の家督は弟豊氏が継承した。『寛政重修諸家譜』には一女が記載されている。則氏の娘は豊氏の養女となり、のちに建部光重に嫁した。則氏の娘と建部光重の間に生まれた長男・有馬吉政は、有馬頼次(豊氏の三男)の養子となってその家を継ぎ、紀州徳川家に仕えており、末裔からは有馬氏倫が出て大名に列した。
出典:wikipedia
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