防予汽船株式会社(ぼうよきせん)は、山口県柳井市柳井134番地6に本社を置いていた海運会社。瀬戸内海汽船グループ傘下で、柳井港と松山市の三津浜港を結ぶフェリー航路を運航していたが、2010年9月30日限りで運航を休止、新たに設立された防予フェリー株式会社に事業を譲渡して、51年の歴史に幕を下ろした。戦後山口県下最大の旅客船事業者であった大陽汽船は、国鉄大島連絡船と国鉄バスの大島一周路線に旅客を奪われ厳しい経営難に陥ることとなった。1959年(昭和34年)瀬戸内海汽船は大陽汽船の航路を引き継ぐこととなり、その運航会社として設立したのが防予汽船である。社名は、岩国・柳井のある山口県東部の旧国名「周防」と、松山のある愛媛県の旧国名「伊予」の間を結ぶ事から、それぞれより一文字ずつとったものである。かつては、岩国 - 松山便(岩国松山高速に売却→岩国 - 伊保田港間廃止)、柳井 - 開作便(廃止)や柳井市周辺の島嶼部への航路(関連会社に売却)も有していたが、架橋(大島大橋)等の影響で整理縮小され、運航終了時には柳井 - 松山航路のみを有していた。山口・愛媛の両県内では長年CMを放送し、「南瀬戸内海~♪」で始まるCMソングも親しまれていた。これは防予フェリーの出港時に流れている。2009年10月1日、山口地方裁判所に、民事再生法適用の申請を行った。航路運航については若干の減便があったものの従前どおりの運航を行いながら自力再建の道を探っていたが、再生計画策定期限の近づいた2010年9月1日、自力での再生を断念し大株主で事実上の親会社に当たる瀬戸内海汽船にフェリー事業を譲渡したと発表した。瀬戸内海汽船は8月26日に新会社「防予フェリー」を設立し、防予フェリーが防予汽船から従業員と船舶を引き継ぎ、山口地裁から事業譲渡の認可を受けた上で、10月1日から新会社での運航が開始された。柳井 - 松山航路の愛称「オレンジライン」は、山口・愛媛両県が共に全国有数の柑橘類の栽培地域であることにちなんで名付けられた。ただし、過去には同航路と国道262号・国道33号などを組み合わせた萩 - 山口 - 防府 - 柳井 - 松山 - 高知間が、広域観光ルートの意味合いでオレンジラインと呼ばれており、1960~80年代にかけて「土佐」「高知」「萩」といった就航地と離れた地名が船名が与えられていた。岩国 - 松山間の航路には、双方の都市に城趾があることから「城下町ライン」の愛称が与えられていたが、岩国松山高速(現・周防大島 松山フェリー)が2006年3月1日付で高速船運航を中止したのに伴い、同航路は廃止された。
出典:wikipedia
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