原子力船むつ(げんしりょくせんむつ)は、1968年11月27日に着工した、日本初にして、現在のところ最後の原子力船である。1974年9月1日、青森県沖の太平洋上で行われた初の原子力航行試験中に放射線漏れを観測。事故後、母港である陸奥大湊港への帰港を反対されたために、16年に亘って日本の港を彷徨って改修を受け、4度の実験航海後、新設されたむつ市関根浜港へ回航され、原子炉部分は撤去された。これ以降、日本原子力研究所においての改良型舶用炉MRX、深海探査艇用原子炉DRX研究開発を除き、日本は原子力船の計画、建造や購入をしていない。軍艦を別にすれば、原子炉を動力源とする船を建造した国は少なく、旧ソ連の原子力砕氷船「レーニン」(1959年-1966年改造後1970年-1989年)、アメリカの貨客船「サバンナ」(運航期間1965年-1970年)、当時の西ドイツ鉱石運搬船「オットー・ハーン」(運航期間1968年-1979年)に続く世界でも4番目の成果である。本船の名称は一般公募から選ばれ、進水時の母港である陸奥大湊港のある青森県むつ市にちなむ。1963年に観測船として建造計画が決まり、1968年に着工して1969年6月12日に進水した。1972年に核燃料が装荷され、1974年に出力上昇試験が太平洋上で開始された。1969年の進水時には記念切手が発行されるなど、期待は大きかった。しかし、1974年9月1日の航行中に、試験開始早々の低出力で放射線漏れが発生した。漏れた量は極微量であったがメディアによってセンセーショナルに報道された。この放射線漏れで帰港を余儀なくされるが、風評被害を恐れる地元むつ市の市民は放射線漏れを起こした本船の帰港を拒否したため、洋上に漂泊せざるを得なかった。長崎県佐世保市、むつ市大湊港での母港化反対運動により帰る場所を失ったまま、長い話し合いの末に新母港としてむつ市関根浜港が決まった。1990年に、むつ市の関根浜港岸壁で低出力運転の試験を行い、その後4度の航海中に出力上昇試験と公試を行なった結果、1991年2月に船舶と原子炉について合格証を得た。その後、1992年1月にすべての航海を終了し、1993年に原子炉が撤去された。現在は、ディーゼル機関に積み替えられた船体が独立行政法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の「みらい」として運航されている。なお、原子力船むつの操舵室・制御室、撤去された原子炉室がむつ科学技術館(むつ市)で展示されている。むつは建造当時の大型タンカーがむつの船腹に全速力で衝突しても、タンカーの船首が原子炉にまで到しないほどの強度設計がなされていた。また、万一むつが沈没した場合は深海の圧力で原子炉格納容器が圧壊することがないよう、海水の圧力で早期に格納容器に海水を導入するよう設計されていた。多くの商用原子炉では、安全のため緊急炉心停止の場合は、制御棒を駆動装置から切り離して炉心に落とし込む方法がとられているが、むつの原子炉ではバネの力で炉心へ押さえ込みたとえ転覆しても制御棒が外部に抜けない設計がなされていた。
出典:wikipedia
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