小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。秋田県で生まれ、その後は東京都江東区で育った。二松學舍大学附属高等学校に進学後は1年からベンチ入りし、春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板は無かった。高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが3年生の進学直前に大学を退学した。野球を離れてフレッシュネスバーガー原宿店で半年間アルバイトをしていたが、高校の恩師から誘われて母校で練習を再開したところ、JR東日本監督の堀井哲也が小杉を探し出してチームに勧誘、にJR東日本へ入社した。入社1年目から第78回都市対抗野球大会の準々決勝で先発投手を務めるなどの活躍を見せた。2008年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5巡目で指名され、同年11月28日に契約金5000万円(推定)、年俸1000万円で契約した。センバツの公式パンフレットにおける小杉の欄には、好きな球団として「横浜ベイスターズ」と書かれてあり、まさに意中の球団からの指名となった。横浜ベイスターズ入団会見の際には婚約者を同伴していた。その婚約者とはの元日に入籍。肩痛もあって出遅れたが、二軍では11試合に登板して2勝2敗1セーブ、48回2/3を投げて防御率4.62と成績を残した。一軍昇格後、同年10月5日の広島戦(横浜スタジアム)でプロ初登板・初先発を果たした。3月28日の西武戦(イースタン・リーグ)で9回1死まで無安打投球を続けていたが、平尾博嗣に本塁打を打たれノーヒットノーランを逃した。その後に一軍昇格を果たすと、同年8月11日の中日戦(横浜スタジアム)で、5回4失点だったものの直後に味方が逆転し、プロ初勝利を挙げた。二軍では29試合に登板し、4勝5敗3セーブ、防御率3.03の成績を収めたが、一軍ではあまり登板は無かった。4月21日の阪神戦に先発。途中に投手コーチである友利結から胸を小突かれるシーンも見られるほどの不安定な投球だったものの、5回2失点で2年ぶりの勝利となるシーズン初勝利を挙げた。改造したフォームで臨み、先発ローテーションの一角に組み込まれるが、5月17日の日本ハム戦で肩を痛め降板、登録を抹消され、以降一軍に上がることなくシーズンを終えた。シーズン終盤の9月に右肩部分のクリーニング手術を行い、以降リハビリに努めた。二軍では21試合に登板し、防御率4.30を記録した。一軍では2試合の登板に留まった。ロングリリーフとして起用され、一時は勝利の方程式入りも期待されていた。しかし、4度の一軍昇格・降格を繰り返すなど安定した成績は残せなかった。結果的には、プロ入り後最多の27試合登板を果たした。初の開幕一軍入りを果たし、主にビハインド、大量リードの場面を担当した。前年よりも試合数は減ったが、制球が安定したことにより、防御率・WHIP等を改善させた。入団当初は最速149km/hの速球を武器とする速球派投手だったが、2012年からは友利結の助言もあって打たせて取る技巧派に転向した。これに併せて、変化球も従来のスライダー・スローカーブ・フォークに加え、シュートを取得した。2013年からは、テークバックを小さくしたフォームに改造した。
出典:wikipedia
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