『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(きしたにごろうのとうきょうレディオクラブ)は、1990年10月8日から1994年9月30日までTBSラジオで放送されていたラジオ番組。通称「レディクラ」。1980年代から1990年代にかけて、民放AMラジオの夜ワイド番組は10代をターゲットにしたバラエティ番組が主流だった。しかしTBSラジオは首都圏において文化放送「吉田照美のてるてるワイド」やニッポン放送「ヤングパラダイス」に水を開けられていた。1986年の「進め!おもしろバホバホ隊」終了後は他局と一線を画した大人向け番組に転換したものの、定着しなかった。本番組で、4年ぶりに10代向け夜ワイド番組に回帰した。本番組開始に合わせ、TBSラジオは月曜日から土曜日の10代向け番組枠を総称した「TBS RADIO 2(TBSレディオクラブ)」ブランドを創設。本番組がフラッグシップ的存在であった。メインパーソナリティは、当時スーパー・エキセントリック・シアター(S.E.T.)の劇団員で「ヤングパラダイス」にも出演していた岸谷五朗。ホンジャマカの恵俊彰も全期間を通じて共演した。2人とも番組開始時は無名に近かったが、本番組が知名度・人気を獲得する契機となった。また、S.E.T.のメンバーだった寺脇康文や山田幸伸、尾口えり子(現:おぐちえりこ)らもレギュラー出演した。番組は投稿コーナー・クイズコーナー・中継コーナーなどの企画で構成。「NAI NAI'91」「ボンビーくん」「長嶋家の謎」が人気コーナーとなり、本も出版された。また、番組内には3~5つの内包番組(録音)があり、奥居香、永井真理子、TM NETWORK、米米CLUB、小川範子などが出演していた。連日の生中継やニューヨークからの生放送・リスナー参加イベント・番組ファンクラブの結成など、スタジオでの生放送を超えた企画も多数行われた。世界エイズデーに全国で開かれる「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」も本番組がきっかけでスタートした。1994年に入ると、俳優としての知名度を上げた岸谷が、連続ドラマに相次いで出演(「この愛に生きて」「妹よ」)。ドラマ撮影の影響で本番組への出演が困難になり、一時は岸谷の出演が週3日のみとなった。代役パーソナリティを立てるなどして対応したが、最終的には「役者業に専念したい」という岸谷の意向を受け、1994年9月をもって4年間の放送に終止符を打った。なお後継番組として、寺脇康文とのトーク番組『岸谷五朗vs寺脇康文~ぷんぷん五朗佐とニコニコ脇衛門』が1年間放送されている(日曜23:00-24:00)。20代をターゲットにした情報番組。プロ野球放送期間中に21時台時間調整枠後半部分として放送。1993年のシーズンは22時開始の番組本編準備のため通常18時台から局舎に詰めている岸谷をフライング出演させて対応した。それがこの番組である。番組名は当時、延長戦ルールの関係で22時を過ぎても試合が終わらず、22時からの番組本編が短縮されることもしばしばあったことに由来する。安達祐実・SMAP出演の10分程度の録音番組を岸谷の短い生放送トークやコーナーでつないだ。エロ・下ネタを扱うコーナーが多い木曜日は「変態木曜日」と呼ばれた。岸谷と恵がパーソナリティを務める曜日(金曜日→木曜日)は、2人を競わせたり、互いを貶めあうコーナーが多かった。リスナー電話出演によるクイズコーナー。4年間で4度コーナーが変更された。当番組の特徴として、番組中の生中継の多さが挙げられる。番組開始から1992年3月までの1年半は恵俊彰がほぼ毎日中継を担当。その後中継コーナーは週1日のみとなり、大崎聖二が2年間担当した。本番組に内包されていたアーティスト・タレントの番組。ほとんどの番組が月曜日から金曜日まで毎日放送され、一部は地方局へネットされた。また、これら番組の出演者を総称してレディクラファミリーと呼んでいた。番組リスナーを対象としたファンクラブ。1991年12月に結成。入会者には会員証(黒色)が配布された。郵送での配布ほか、首都圏各地で会員証配布イベントを連日開催したが、2日目の埼玉会場で想定以上のリスナーが集まり、その後のイベント縮小を余儀なくされた。また、会員証配布以外の特典は皆無だった。1993年11月に結成。入会者には会員証(銀色)が配布されたほか、会報「戸張さん」の発行や、不定期のプレゼント企画などが実施された。番組終了後には会員への感謝状も郵送された。1992年から番組終了まで、番組内(岸谷・恵の出演日)に「ボンバーズ通信」というコーナーが設けられ、リスナーの活動報告(リスナーによる学校内などでの番組宣伝)や、会員へのお知らせが放送された。当初は岸谷・恵がコーナーを進行。1993年10月以降は尾口えり子が「ボンバーズヘッド」に就任し、岸谷・恵とともにコーナーを進行した。番組の全期間において、FAXを利用した番組情報提供サービスが行われた。番組開始から1993年3月まで、番組放送日は毎日実施。当時ヤマト運輸が首都圏のコンビニエンスストアを中心に展開していた「伝言FAX」を利用し、翌日の番組進行表(キューシート)やコーナーで使われたネタ写真を公開した。1993年4月から番組終了まで、毎週月曜日に実施。番組情報や尾口によるイラスト(岸谷の裏話が多い)などが書かれた新聞を受け取ることができた。受け取りには番組へ送付を申し込むか、またはFAXのポーリング機能を利用した。ハガキなどが採用されると、バンダナ・手袋・キーホルダー・ポストカード・としまえん入園券など(時期により異なる)。優秀作品にはTシャツ・ソックスなど(時期により異なる)。ハガキなどが採用されるとレディクラバッジがもらえた。これを3個集めると銀バッジ1個と交換でき、更に銀バッジを3個集めると金バッジおよびレディクラニューグッズ全部と交換できた。優秀作品には、レディクラニューグッズ(Tシャツ・傘・タオル・コームセット・ペンセット・テレホンカード・ペンケースの中から1個)。ハガキなどが採用されると、番組オリジナルの通貨「レディクラマネー」(単位は「1レディクラ」)がもらえた。貯めたレディクラマネーは放送1000回記念イベント(1994年8月)で番組秘蔵グッズなどと交換できた。
出典:wikipedia
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