メリル・ストリープ(Meryl Streep, 本名: メアリー・ルイーズ・ストリープ、Mary Louise Streep, 1949年6月22日 - )は、アメリカ合衆国の女優。ニュージャージー州サミット出身。父親のハリー・ウィリアム・ストリープは製薬会社の役員、母親のメアリー・W・ストリープはコマーシャル・アーティスト。スイス、ドイツ、アイルランド、イングランドの血を引くオランダ系アメリカ人である。ストリープという名前は、アメリカに移住する当時、彼女の先祖が自らの名前(苗字)に線を引いた(=ストライプを引いた)ことに因む。オランダ移民であった先祖は、ストライプという発音が訛り、ストリープという響きに変化し、そう名乗るようになった。ヴァッサー大学在学中に奨学金を得て、イェール大学演劇大学院(クラスメイトにはシガニー・ウィーバーもいた)で学び、卒業時にはキャロル・ダイ演技賞を受賞した。イェールを卒業後、1975年にニューヨークに移り住む。パブリック・シアターのレパートリー作品に出演。舞台俳優としてキャリアをスタートさせる。1976年、で上演された『ヘンリー五世』と『尺には尺を』に出演。『尺には尺を』ではサム・ウォーターストンとジョン・カザールと共演した。このときの共演がきっかけでカザールとの交流が生まれ、彼との関係はカザールが1978年に没するまで続いた。同年、ブロードウェイ・デビュー作となったテネシー・ウィリアムズ作の『綿でいっぱいの27台のワゴン』及びアーサー・ミラー作の『二つの月曜日の記憶』の2作品でトニー賞ならびにドラマ・デスク賞にノミネートされ、シアター・ワールド賞とアウター・クリティック・サークルの演技賞を受賞。またこの頃『タクシードライバー』(1976年2月公開)のロバート・デ・ニーロの演技に衝撃を受け、映画のオーディションを受け始める。『キングコング』のヒロイン役のオーディションにも出ているが、プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティスに酷評され落とされている。1977年、フレッド・ジンネマン監督の『ジュリア』で映画デビュー。同年、アントン・チェーホフ作の『桜の園』の舞台に立つ。『桜の園』における彼女の演技に目を止めたロバート・デ・ニーロは、『ディア・ハンター』の彼の相手役としてストリープを推挙。1978年12月公開の同作品で第51回アカデミー賞助演女優賞にノミネートされる。1979年公開の『クレイマー、クレイマー』でアカデミー助演女優賞を、1982年公開の『ソフィーの選択』でアカデミー主演女優賞を受賞。さらに、2011年公開の『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で、アカデミー主演女優賞を受賞した。2016年2月に開催される予定の第66回ベルリン国際映画祭の審査委員長に選出された。役に成りきるために、事前には徹底したリサーチを行うが、台本はあまり読み込まず数回程度が常である。彼女がオスカーを獲得した『ソフィーの選択』では役作りのためにロシア語訛りのポーランド語、ドイツ語及びポーランド語訛りのある英語を自在に操るなど、作品の背景や役柄に応じてアメリカ各地域のイントネーションを巧みに使い分けている。この特徴は彼女の代名詞ともなっており、そもそもは、彼女が女優を志す以前に、オペラ歌手志望で訓練を受けていたためである。音楽の世界で培われた絶対音感もあるため、ストリープは全米で「訛りの女王」と呼ばれ、その秀でた類まれなる才能は高く評価されている。ロバート・デ・ニーロはストリープのことを自分と最も息の合う女優と言っている。2015年現在、アカデミー賞に19回ノミネートされており、これは俳優としては最多の記録である。また、ゴールデングローブ賞を8回受賞(29回ノミネート)しており、男優・女優を通じて史上最多記録である。大女優では非常に珍しく、初婚を貫いている。舞台『尺には尺を』で共演したジョン・カザールと婚約していたが、カザールが1978年3月12日に癌で死亡したために結婚にいたらなかった。同年9月30日、彫刻家ドン・ガマー(、ドナルド・ガマー)と結婚。ガマーとの間に4人の子供がいる。また、1993年に北九州市の国際村交流センターの完成に合わせて設置されたガマーの彫刻の除幕式の際に来日しており、式典後に同市で行われるわっしょい百万夏まつりのパレードにも夫婦で参加した(『ナイトシャッフル』(2012年11月25日放送分)より)。田舎の広大な敷地に引っ越した時に池に浮いている大きな亀を見て、スーツケースが浮かんでいると勘違いした(『クイズダービー』第632回(1988年3月19日放送分)の7問目より)。
出典:wikipedia
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