LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

甘夫人

甘 夫人(かん ふじん、? - 209年)は、三国時代の蜀の先主劉備の側室。父母の名は不明。豫州沛国の人。蜀漢の第2代皇帝である劉禅の母。194年、劉備が豫州刺史として小沛に移住したころ、側室となった。当時の正妻が糜夫人(糜竺・糜芳の妹)であり、甘夫人は身分の低さから側室のままであったが、最も長く連れ添っていたので、彼女が奥向きのことを取り仕切っていた。稗史においては美貌をもっていたと記述されている。207年、劉備に従って荊州に赴き、そこで劉禅を生んだ。208年、曹操の軍勢が南下し、当陽の長坂で追いつかれると、劉備は甘夫人と幼い劉禅を置き去りにし、逃走した。このとき趙雲が劉禅を抱き、甘夫人を保護したため難を免れた。しかし甘夫人は間もなく亡くなり、荊州南郡に埋葬された。222年、甘夫人に皇思夫人と諡して、蜀に移葬することになった。しかし、柩がまだ到着しないうちに劉備が崩御し劉禅が即位したため、諸葛亮は頼恭らと諡号を検討し、甘夫人に昭烈皇后と諡した上で、劉備と恵陵に合葬した。なお厳密には、「昭烈」は甘夫人自身を示す諡ではない。皇后の追号と併せて「昭烈帝の皇后」という格式を表すものである。このため、自身に「穆」と諡された呉夫人は、『蜀書』において「穆皇后」と表記され、自身に諡のない甘夫人は「甘皇后」と表記されるのである。曹操が官渡の戦い前に徐州の劉備軍を撃破したため、関羽が甘夫人らの命の安全を誓うことを条件に投降している。その後、関羽が官渡の戦いで袁紹軍の顔良・文醜を討ち取り義理を果たしたとして、甘夫人らを引き連れ荊州に向かった際には、山賊の杜遠に捕まってしまうが、関羽を尊敬していた廖化に助けられている。長坂の戦いでは、甘夫人は無事逃亡に成功している。その後、劉備と孫夫人の縁談の際に「夫人に先立たれている」ことから、これまでに死亡したという設定になっている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。