萬栄駅(まんえいえき)は台湾花蓮県鳳林鎮にある台湾鉄路管理局台東線の駅である。かつては林務局花蓮林区管理処の林田山林場鉄路萬森線が本駅から林田山(森栄)へと通じていた。萬栄の元の名である「馬里勿」(マリバシ)はアミ族語で上り坂の意味である。日本統治時期に日本政府は林田山林場の木材を運送する為に大正3年(1914年)3月8日、馬里勿乗降場を開設した。これが本駅の始まりである。1918年(大正7年)に日本式の当て字で萬里橋驛と改名した。第二次世界大戦後、行政区域の再編に伴い萬里郷が成立し、本駅も所在地が萬里郷である事から1952年1月15日に萬里駅と改名した。台北県にも同名の萬里郷が存在した事から1958年6月1日に萬栄郷と改名し、本駅も萬栄駅に改名した。1982年に東側の改軌新線が完成し、本駅も日本統治時期の木造駅舎が老朽化していた事から鉄筋コンクリートの新駅舎に同時に建て替えた。本駅は1960 - 1970年代の林田山からの木材運搬時に最も興盛を極めた。林田山森林鉄道からの旅客は毎日絶える事無く、木材の貨物輸送も極めて多く、当時は鳳林、光復、瑞穗、玉里、東里、富里、池上、関山、鹿野、稲葉(後の嘉豊)等の駅と同様に各級の列車が全て停車していた。「台灣車站革沿」によると1970年代当時の1日の利用者数は700人に達し(年間23万人)、旅客収入は1日6000元になった。貨物は1日150トンで材木が主であった。林田山は1980年代に没落し、萬栄駅の旅客、貨物収入も急速に減少した。台鉄官報記録によれば、1980年の利用者数は4万人と過去に比べて嘘のように減少したが、当時の台東線最高級列車の光華号は停車していた。東側の改軌新線が完成して切り替えた後、萬栄駅は非対号列車(当時は自強号、光号、復興号等の高級列車が存在した)が停車するだけとなった。その上、花東公路が拡張されて自動車が普及したのが更に本駅の状況を悪化させた。1990年代には糧食局の(貨物)側線が廃止され、本駅の貨物輸送はほぼ停止している状態で、砕石以外の貨物は滅多に見られない。旅客輸送はその後光号等の対号列車が停車する様になったものの、林田山からの人口流出には抗えなかった。1993年度の利用者数は僅か7718人で収入は凡そ197万元程であった。しかし、出札のオンライン化と花蓮客運(バス)の値上げにより本駅の業績は2004年から2割成長し2005年には営業収入285万元、利用人数は15011人となった。
出典:wikipedia
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