エリモダンディーとは日本の競走馬である。おもな勝鞍は京阪杯、日経新春杯。※以下、馬齢は旧年齢で表記する。エリモダンディーは体躯の小さな馬で、入厩時は装鞍をしても400キログラムにも満たなく関係者を驚かせたという。しかし、小柄ゆえに仕上がりも早く、新馬戦開始直後の6月の札幌の新馬戦で早くもデビューし、勝ち名乗りを上げた。しかしその後、2戦したが掲示板には載れず、3歳のシーズンを終えている。明けて4歳、初戦は500万下条件戦の福寿草特別に出走。前走のエリカ賞(500万下)では早仕掛けからブービー負けを喫したことから人気を落としていたが、レースでは直線一気のごぼう抜きで快勝した。続くオープン特別の若駒ステークスでもランニングゲイル以下をなぎ倒し、クラシック戦線に名乗りを上げた。しかし、共同通信杯4歳ステークス5着、すみれステークス2着を経て挑んだ皐月賞では7着、日本ダービーでは4着と、サニーブライアンの逃げの前に得意の追い込みは不発に終わった。秋は札幌のオープン特別のタイムス杯7着、京都新聞杯5着を経て菊花賞に挑んだが、マチカネフクキタルの10着に終わり、結局三冠レースは1つも勝てなかった。それでも、エリモダンディーは菊花賞から3週間後の京阪杯で重賞初制覇を挙げた。5歳になり古馬になったエリモダンディーの初戦は京都金杯。このレースでエリモダンディーは1番人気に推されたが2着に敗れてしまう。続くレースは日経新春杯。このレースでエリモダンディーは直線一気の競馬を見せ、重賞2勝目を手にした。ところがレース直後、エリモダンディーに騎乗していた武豊が馬体の異常に気づき、馬場内で下馬してしまう。すぐさま診療所に運ばれたが診断の結果、左第一指骨骨折で全治9ヶ月という重傷を負っていたことが判明し、エリモダンディーは厩舎で療養することになった。だが、エリモダンディーは療養中にもともと持病があった内臓を患い、1998年2月8日、結腸捻転で死亡した。
出典:wikipedia
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