山名城(やまなじょう)は、上野国多胡郡(現・群馬県高崎市山名町前城)にあった戦国時代の日本の城(山城)である。別称として前城、寺尾下城ともいわれる。烏川と鏑川に挟まれた片岡丘陵の東南端付近に位置する山城である。東西に続く尾根の一部を堀切で城郭化しており、南北130m・東西450mに広がる。また西側の尾根続きで、城から北東700mには根小屋城が存在する。築城は応永2年(1395年)で、当時尹良親王の拠っていた寺尾城(寺尾中城)の東南城塁として築かれた。別名の寺尾下城はこの寺尾中城や寺尾上城(乗附城)との対比に由来する。その後、武田信玄が北西に根小屋城を築城したことでその支城として使用された。もう一つの別名の前城は、根小屋城の前にあることに由来する(『日本城郭大系』)。この地域は山名氏の由来たる多胡郡山名郷に比定されており、この城も山名義範が築いて山名氏の代々の居城であったとする伝承(源義家の孫、新田義重の子義範はこの山名城に拠って山名氏と称し、以後八代、山名城を護ったという。)もあるが、確証が無く詳細不明である。城郭構造は天正時代の囲郭式の様相を残し、戦国時代に改修されたことを示している。戦国時代を通じて、東の木部氏館(現・群馬県高崎市木部町の心洞寺)にいた土豪木部氏が拠る要害城であった。木部氏は武田氏・滝川氏・後北条氏と主家を変えて存続していたが、天正18年(1590年)に豊臣秀吉が北条氏直を攻撃した際北条側に付いたため滅亡し、山名城の消息は不明となった。これ以後に廃城となったとされる。本丸は公園として整備されている。また南側の中腹には山ノ上古墳と山ノ上碑が存在する。
出典:wikipedia
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