青木 茂(あおき しげる、1910年(明治43年)11月10日 - 2003年(平成15年)2月22日)は、日本の政治家(豊橋市第23、24代市長)。岐阜県出身。台北高等学校、台北帝国大学を卒業。岐阜県で生まれた後、日本領時代の台湾の学校を卒業。台北州産業部長になる。終戦後、参議院事務局警務部長など歴任した。昭和24年(1949年)、地域開発の論文を出身地の岐阜県庁へ提出。昭和39年(1960年)に河合陸郎が豊橋市長に就任すると助役に招かれた。4期14年強、豊橋市役所において助役を務め、昭和50年(1975年)に市長選挙に立候補して当選。以来、2期8年間市長であった。市長の任期中に豊橋市地下資源館や各校区に市民館を建設したり、三河港の整備をした。昭和58年(1983年)の市長選挙では恐竜の全身骨格を展示する自然史博物館(現在は豊橋総合動植物公園の一角にある)建設を訴えて三選を目指すが、自然史博物館建設反対を訴える高橋アキラに激戦の末に落選。以後、政治家としては引退。豊橋市出身で豊橋市の旧制中学校を出た東京帝国大学卒の政治家に元サラリーマン新党代表で元参議院議員の青木茂がいるが別人である。豊橋市長の青木茂は岐阜県出身で台湾育ちである。昭和58年(1983年)に国政にデビューしたサラ新党のまだ存命中の青木茂と異なり、同年に政治家としては引退した故人である。
出典:wikipedia
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