P-16 はアメリカ合衆国のバーリナー・ジョイス・エアクラフト・コーポレーション(Berliner-Joyce Aircraft Corporation)が製作した1920-1930年代の複座戦闘機である。バーリナー・ジョイス社(Berliner-Joyce Aircraft Corporation)はバーリナー・エアクラフト社(Berliner Aircraft Company)の資産を受け継ぐ形で1929年に設立された。新会社は当初「バーリナー単葉機」の開発を予定していたが、アメリカ陸軍航空隊の要求による複座戦闘機の設計をすることとなった。XP-16と名づけられた試作機は1929年10月に初飛行した。XP-16は金属骨組みに羽布張りの構造を持ち、翼は片持式の複葉で、翼幅の異なる上翼と下翼が前後にずらして置かれ、下翼は上翼より小さく胴体下面に取り付けられていた。また上翼はガル翼となっていた。パイロットの後ろには偵察員兼銃手が位置した。動力はスーパーチャージャー付きのカーチスV-1570コンカラー(600馬力)インライン・エンジンであった。陸軍航空隊の評価試験の後、合計25機におよぶYP-16の最初の2機の契約が締結された(25機のうち最初の15機は先行生産とみなされた)。試作機と生産型との主な違いは、スーパーチャージャーの付かないコンカラーエンジンであったことと、3翅プロペラを使用していたことであった。1931年までの間に、陸軍航空隊からの発注のほか、アメリカ海軍も艦上戦闘機型XF2J-1を発注した。バーリナー・ジョイスYP-16は、アメリカ陸軍航空隊で就役した最後の複葉戦闘機であるとともに、1918年以降に陸軍のために生産された唯一の複座複葉機戦闘機である。Y1P-16は1932年、第94追撃飛行中隊に配属された。生産型は後にPB-1(PBは複座追撃機(pursuit-biplace)を現わす有用でない記号であり、他に1機種(PB-2)存在するのみである。)と改称された。試作機に装着されていた過給機が取り外されたため、高空性能はかなり低下したが、後続性能は当時の単座戦闘機よりかなり勝っていた。またガル翼であったにもかかわらず機首越しの視界は劣悪で、着陸に際してパイロットを悩ませることとなった。バーリナー・ジョイスPB-1は1934年にはすべて第一線から退いたが、なお少数は1940年まで後方での任務に就いていた。XF2J-1はP-16と同じ欠陥に悩み、開発の遅れと会社の財政難(結局会社の消滅に至った)により2年もかかって納入された試作機の試験は好ましくない成績に終った。
出典:wikipedia
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