高千穂大学は、私学として我が国最初の高等商業学校を前身としている。校章には稲、鏡、鵄(とび)が刻まれている。稲は「知性(知)」、鏡は「徳(真心)」、鵄は「体(勇気)」を意味し、これら知・徳・体を4年間の大学生活において体現することを意味している。シンボルマークの3つのパーツは、知・徳・体それぞれを表現している。創立者川田鐡彌が高千穂小学校と名付けたことに始まり、一貫して学校名に高千穂を冠している。日本の建国神話に由来する日本人の心のふるさと、天孫降臨に象徴される日本民族の精神的な発祥の聖地、すなわち日本人の精神的原点を指している。明治〜大正時代、高級住宅街として知られた豊多摩郡大久保町(現在は新宿区新宿七丁目)に開校。明治36年 小学校の設立から12年で幼稚園・小学校・中学校・高等商業学校を擁する一貫教育を実現した。創設者川田鐡彌の教育理念により、創設時より少人数教育で家族的な一貫教育を目指し、新宿、大久保、四谷界隈の資産家や実業家の子弟が学ぶ名門校であった。教授陣は充実し、当時の評議員や式典来賓には、渋沢栄一、男爵団琢磨、公爵山県有朋など実業界の第一人者、政府高官、貴族の名が連なっており、旧制高千穂高等商業学校は官立の東京高等商業学校や有名私塾と肩を並べると評されていた。昭和20年5月までに空襲で大久保の校舎が全焼し、高商のある杉並区大宮に全てが移転した。戦後の学制改革で幼稚園・小学校・中学校・高等学校へ改組、高商は新制大学へ改組、再び一貫教育の体制が整い、昭和20年代の中学校、高等学校は、商大の他、有名校に多くの進学者を輩出していた。しかし、戦後の再建期の中、創設者の病臥→死去から親族や運営陣の内紛が発生、校地売却(大久保校舎跡と現在の佼成グラウンド部分)や教育現場の荒廃等の状況が影響し、小学校・中学校・高等学校が休校に追い込まれるまでに至った。その後、商大卒業生有志が中心となって学校経営体制の刷新に立ち上がり、昭和40年代は、校舎、グラウンドをはじめとした設備面の拡充、教職員の向上、経営体制の整備を着々と推し進め、商大を中心とした学園再建の動きに向かった。幾多の困難の末に混乱は収束し、社会問題であった学生運動、学園紛争の盛んな時期でも、商大では目立った事件・事故はなかった。現在では文系3学部、大学院、付属研究機関を擁する。企業出身者による実学の充実、国内外協定校との連携、創設以来の方針である少人数制を活かした教育を目指している。高千穂幼稚園は100年以上の歴史をもつ我が国有数の幼稚園として知られる。
出典:wikipedia
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