瀬戸 和則(せと かずのり、1950年8月17日 -2013年7月25日 )は、岩手県釜石市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。大槌高校ではエースとして活躍。甲子園には出場できなかったが、1968年春の東北大会県予選で黒沢尻工に次ぐ準優勝。東北大会では1回戦で小山田健一のいた日大山形に敗退するが、好投手として注目された。1968年ドラフト会議で西鉄ライオンズから13位指名を受けるも拒否し、盛岡鉄道管理局へ入社。泉沢彰がプロ入りした後はチームのエースとなり。ややサイドから内外角をつくシュート、カーブでカウントをとるピッチングを身上に、都市対抗の常連として活躍。1971年の大会では2回戦に進み、この大会に準優勝した丸善石油の門田純良(愛媛相互銀行から補強)、久玉清人らと投げ合うが大敗を喫する。1973年ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。1974年にはウエスタン・リーグで6月半ばまでで4勝1敗、防御率2.57を記録。マウンド度胸の良さを首脳陣に買われ、一軍に引き上げられて2試合に登板する。1976年には主に中継ぎとして17試合に登板、9月には初先発を果たす。同年オフに榎本直樹との交換トレードで、ヤクルトスワローズへ移籍するが、登板機会に恵まれず1977年限りで引退。
出典:wikipedia
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