手取川(てどりがわ)は、石川県の主に白山市を流れて日本海へ注いでいる一級河川。石川の通称で呼ばれた時代もあり、郡名(石川郡)および県名の由来となっている。石川県白山市南部の旧白峰村の岐阜県境にそびえる白山に源を発し北流する。上流には手取川ダムがあり、中流域の旧鳥越村・吉野谷村地区では河岸段丘を下刻して手取峡谷を形成している。旧鶴来町市街地で流路を西へ変更し、山から金沢平野へ抜ける地点を扇頂とした扇状地を形成している。能美市と能美郡川北町の境界を流れ、白山市の旧美川町で日本海に注いでいる。平均河床勾配1/27は日本有数の急流河川である。河口より約40km北東に位置する「千里浜なぎさドライブウェイ」で有名な千里浜は、手取川が運搬した土砂が沿岸流によって運ばれ堆積したものである。倶利伽羅峠の戦いのあと平家軍を追う木曾義仲軍が篠原の戦いを前に、増水して濁流の川を渡るとき、多くの兵士が互いに手に手を取って流されないようにして渡ったことに由来する。徳光パーキングエリアの南脇の大川、大慶寺川(現・大慶寺用水)など扇状地での流れも変わってきたが手取川と呼ばれる以前は「比楽河・ひらかがわ」とも呼ばれた。河口の港は比楽湊、その後「本吉湊」と呼ばれ、室町時代には三津七湊の1つであった。手取川を水源とし、金沢平野の北側半分を潤す7つの用水の総称。疎水百選。ほとんどは新たに用水を掘ったのではなく、何度も流れを変えた手取川のかつての川筋を元にして作られている。2014年(平成26年)にその歴史的背景が評価され国際かんがい排水委員会によるかんがい施設遺産に登録。また、大水門および給水口が土木学会の土木遺産に登録されている。暴れ川として知られ、過去幾度となく洪水・氾濫を繰り返した。特に1934年(昭和9年)7月の災害は手取川最大の災害として知られる。前年の豪雪による残雪と豪雨の影響で水量が増加、上流の別当谷で大崩壊が発生し(別当崩れ)死者・行方不明者が100人を超える大災害となった。白山麓の市ノ瀬集落はこの災害で壊滅した。手取川扇状地上の集落は洪水を避けるため自然堤防の微高地に立地しており、島集落と呼ばれる景観を形成している。旧白峰村集落の上流、県道33号白山公園線沿いの河床にある高さ16mの大岩。1934年(昭和9年)の大洪水の時に支流の宮谷川から流出した。大災害の様子を後世に伝える資料であり、県指定天然記念物に指定されているとともに日本の地質百選にも選定されている。1980年(昭和55年)に建設された手取川ダムは上水道、工業用水、電力、治水に利用される。上水道は、石川県の七尾市以南に広く供給されている。また、農業用水も各地から取水される。上流より示す。1911年(明治44年)に金沢電気瓦斯株式会社(現在の金沢市企業局の前身)が、福岡に発電所を設けたのに始まる(現在の北陸電力福岡第一発電所)。現在は水系に22(電源開発:1、北陸電力:21)の発電所がある。サケ有効利用調査の対象河川として、許可を得た者は期間内にサケの遊漁が認められている。
出典:wikipedia
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