水田 圭介(みずた けいすけ、1980年11月4日 - )は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手(内野手)。大阪桐蔭高校(同級生に福井強・宮里優作(プロゴルファー)がいる。)、社会人野球のプリンスホテルを経て、のドラフト会議で西武ライオンズに7位で指名され入団。ルーキーだったフレッシュオールスターゲーム出場果たし一軍昇格も経験。にファームで3割を打ち、守備だけでなく確実な打撃も評価された。はオープン戦で結果を残し、開幕一軍入りを果たした。遊撃手の中島裕之の故障などで出場機会が格段に増えたが、先発出場は2試合のみで守備固めや代走での途中出場がほとんどであった。8月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で、守備固めとして出場し回ってきた打席で、MICHEALからプロ初本塁打となるランニング本塁打を打った。プロ初本塁打をランニングホームランで達成したのは、武上四郎・緒方耕一・坪井智哉に次ぐ、2リーグ制以降史上4人目だった。またこれが水田のこの年唯一の安打であった。は右打ちからスイッチヒッターに転向し、二軍で主力選手として活躍したが、打率2割と低迷した。シーズン終盤に一軍に昇格したが、やはり守備固めとしての出場がほとんどだった。は本来の右打ちに戻し、2月の紅白戦でルーキーの平野将光から2本塁打を打ったものの、一軍出場は17試合に留まった。打席に立ったのも交流戦の2打席のみであったが、その内容は「投犠打」と「四球」で出塁率10割であった。7月4日に昇格するが、7日後の11日に藤田太陽とのトレードで阪神に移籍が決定した。これはアレックス・グラマンの離脱などでリリーフ投手が手薄だった西武と、内野手の補強を求めていた阪神の思惑が合致した結果であった。トレード発表後の試合となった同日の対オリックス・バファローズ11回戦において、渡辺久信は水田を良い形で送りだそうと、9回裏・同点の場面で二塁打で出塁した上本達之の代走として起用(移籍が決まった選手の試合出場は異例)。試合は延長戦の末片岡易之のサヨナラホームランで埼玉西武が勝利し、試合終了後にチームメイトから胴上げされて別れを惜しんだ。7月13日に阪神に支配下登録。背番号は15。一軍では主に守備固めや代走として出場した。は背番号が32に変更される。8月14日に昇格したものの試合出場が無いまま8月31日に登録を抹消され、一軍公式戦試合出場はなかった。二軍のウエスタン・リーグでは79試合に出場し、打率.263、本塁打3であった。12月24日、新井良太とのトレードで中日ドラゴンズに移籍した。1月6日に契約と入団発表が行われ、背番号は阪神時代と同じ32に決定した。自身としては5年ぶりに開幕を一軍で迎えるが、目立つ活躍ができず4月30日に二軍に降格。しかし、7月3日に再昇格。井端弘和の打撃不振などで、昇格当日の対巨人戦で7番二塁手で移籍後初スタメン出場を果たし、その試合で移籍後初安打を放っている。しかし、二軍降格後は一度も一軍に上がることなく、11月11日、球団から戦力外通告を受けた。11月24日、東京ヤクルトスワローズに入団することが発表された。は、一軍でわずか2試合の出場に終わった。は、5月10日に一軍に昇格すると、5月12日の対阪神戦(松山)で7年ぶりに本塁打を放った。水田にとっては、プロ初めてのスタンドインでのホームランであったが、10月8日に球団から2度目の戦力外通告を受ける。現役続行を希望したが、獲得球団は現れず引退を決断した。東京都東大和市のトムス野球塾で講師を務めている。また2014年4月18日に古巣の埼玉西武ライオンズが企画した「GO!ファンクラブシリーズ」で西武OBとしてノッカーを務めた。高校時代は高校通算55本塁打を記録するように長打力を持つバッターだった。しかしプロ入り後は打撃ではなく、内野の3ポジションを守る器用さと俊足を武器に、守備固めや代走として出場することがほとんどである。から3年連続で、一軍で二塁手・三塁手・遊撃手の3ポジションで起用されている。何度か外野手として起用されたこともある。(2007年以前のものは不明)
出典:wikipedia
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