快道(かいどう、宝暦元年(1751年) - 文化7年2月22日(1810年3月26日))は、新義真言宗豊山派の学僧であり、書誌学的に大きな貢献をした。上野国勢多郡粕川村大字膳(現・群馬県前橋市粕川町)に誕生、俗姓は須藤。幼少より、同郡新里村山上の相応寺の快音について学び、得度。15歳の時、花閑院湛惠に師事、『西谷名目玄談』を著す。17歳で『釋摩訶衍論』第4、19歳で『倶舎論』、20歳で『大乗起信論』を学ぶ。安永元年(1772年)、豊山長谷寺にのぼり、22歳で『釋摩訶衍論』を有慶から学ぶ。23歳で知脱から『大日経疏』を学ぶ。27歳の時、『勝宗十句義論』を講義。寛政3年(1791年)、高野山に上り、根性院において『成唯識論述記』を講義する。同年9月、愛染院で法相業、翌年9月、小乗業を務める。寛政5年(1793年)から寛政10年(1798年)にかけて、京都で倶舎・唯識・因明を講じている。享和2年(1802年)、浦和宿(現さいたま市浦和区)の玉蔵院に住んで、その間、しばしば江戸で開講している。文化6年(1809年)、湯島の根性院に移り講義を行うが、翌年没し、浅草の観蔵院に葬られた。快道は、単に多くの講義および著述を広めただけでなく、多くの経典・論書を校合している。ことに、高野山の経蔵がそれまでの火災などのために欠部があるのを、宋版・高麗版などを校合した上で補ったのは、ほとんど快道の業績によるものと目されている。
出典:wikipedia
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