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家永教科書裁判

家永教科書裁判(いえながきょうかしょさいばん)は、高等学校日本史教科書『新日本史』(三省堂)の執筆者である家永三郎が、教科用図書検定(教科書検定)に関して、日本国政府を相手に起こした一連の裁判。1965年提訴の第一次訴訟、1967年提訴の第二次訴訟、1984年提訴の第三次訴訟がある。1997年、第三次訴訟の最高裁判所判決をもって終結。初提訴より終結まで計32年を要した為、「最も長い民事訴訟」としてギネス世界記録に認定された。訴訟における最大の争点が「教科書検定は日本国憲法違反である」とする旨の家永側の主張であったが、最高裁は「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」とし、教科書検定制度は合憲とした上で、原告の主張の大半を退け、家永側の実質的敗訴が確定した。一方、検定内容の適否については、一部家永側の主張が認められ、国側の裁量権の逸脱があったことが認定された。家永らが執筆した『新日本史』が1962年の教科書検定で戦争を暗く表現しすぎている等の理由により不合格とされ(修正を加えた後、1963年の検定では条件付合格となった)、1962年度・1963年度の検定における文部大臣の措置により精神的損害を被ったとして提起した国家賠償請求訴訟。1966年の検定における『新日本史』の不合格処分取消を求める行政訴訟。1982年の検定を不服として家永が起こした国家賠償請求訴訟。家永教科書裁判では第三次訴訟で沖縄戦での住民犠牲について争われた。争点は、集団自決を記述せよとの文部省の検定意見は適当か、集団自決と住民殺害(いわゆる住民虐殺)はどちらが多いか、集団自決の様相はどんなものだったか、などであった。法廷では双方が証人を立てて沖縄戦での住民犠牲の有様を陳述した。大田は、沖縄戦の特徴が住民殺害と「集団自決」などの住民犠牲にあることを述べた。金城は自身の「集団自決」の体験を証言し、それが自発的な意志ではなく日本軍に追い込まれたものであることを述べた。安仁屋は、自らの20年以上もの長い住民への証言聴取経験を背景に、住民虐殺も「集団自決」も同じく日本軍に責任があり、軍総指揮官にその意図(命令)があったこと、直接的な軍命がなくても、軍が作り出した状況自体が決定的だとした。また、「赤松嘉次が、集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題だ」と述べた。山川は沖縄戦の学習状況を説明し、検定意見では間違った内容が生徒に伝わるとの意見を述べた。曽野は、渡嘉敷島での自分の取材経緯を説明し、「集団自決」の時に軍からの命令があったという証言はなかったと述べた。一富は住民は自らの意志で軍に協力し、また自決したと確信していると述べた。石原は、その長い証言取材経験から住民犠牲の態様を三十ほどに分類し、住民虐殺も「集団自決」もともに日本軍に原因があり、追い込まれたものと説明した。波多野は住民虐殺と「集団自決」は違う分類としたが、ともに日本軍に強いられたものという説明を行った。曽野は第一審で証人として立ち多くの質問に答えている。それによれば、渡嘉敷島には10日間程度1人で滞在して取材した、当時兵事主任であり軍命を受けたと証言している富山真順について、「彼がそれだけのことを知っているのならば飛びついて、すぐに取材をしていたはずだが、村の誰もそのようなことは言わなかった」とし、富山自身は曽野に会ったと証言したが、曽野は富山には取材はしていないと証言した。住民の多くの証言が収録されている『沖縄県史・第10巻』は読んでいない(これから買います)、自著で批判した『鉄の暴風』の執筆者太田良博から批判があり『沖縄タイムス』上で論争をしたこと、自著の「ある神話の背景」では「集団自決」の強制となる証拠は見当たらなかったという事を書いたつもりだ、と述べた。 判決は第一審から第三審まで検定意見は適法とし、国が勝訴した。その前の事実認定としては住民殺害より集団自決の方が数が多いとは必ずしも言えない、集団自決については「学会の状況にもとづいて判断すると、本件検定当時における沖縄戦に関する学会の状況は(中略)日本軍の命令によりあるいは追いつめられた戦況の中で集団自決に追いやられたものがそれぞれ多数にのぼることは概ね異論のないところであり」とし、集団自決の原因については、「集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への恐怖心、軍の住民に対する防諜対策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘され、戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものと美化するのは当たらないとするのが一般的」とした(第三次訴訟・高裁判決文)。山本夏彦は『週刊新潮』1994年3月24日号の連載「夏彦の写真コラム」において、家永裁判は敗訴に次ぐ敗訴だったのに、さながら勝訴のように新聞は祝った。新聞は社会主義国の味方である、と記している。林房雄は家永が新聞で、自らが著した教科書三百数十箇所の改訂を命じられたと記していたことを取り上げ、どんな箇所を抹殺されたのかは知らぬが、きっととんでもない教科書に違いない、でなければ、いくら頑迷固陋な文部省でもそこまで朱筆を入れうるはずがない。そんな無学教授と出鱈目教科書によって「教育」された戦後の学生こそ災難であると評している。

出典:wikipedia

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