BRICs(ブリックス、)は、2000年代以降著しい経済発展を遂げているブラジル、ロシア、インド、中国の4ヶ国の総称。(ブリック)とも呼ばれる。投資銀行ゴールドマン・サックスのエコノミストであるジム・オニールによって書かれた2001年11月30日の投資家向けレポート『』で初めて用いられ、世界中に広まった。また、4ヶ国に南アフリカ共和国を加えた5ヶ国は、BRICSと総称される。(BRICsの小文字のsは複数国の意味)4ヶ国は、2009年6月16日にロシアのエカテリンブルクで初めての首脳会議を開催した。2011年4月13日に中国の北京で行われた首脳会議には南アフリカ共和国が初めて参加し、首脳会議の正式名称をに変更した。ブラジルのフォルタレザで開かれた第5回BRICSサミットの初日にあたる2014年7月15日、1000億ドルの資本金を持つ新開発銀行の設立と、同じく1000億ドルにのぼる外貨準備基金の設立を記した、長らく待ち望まれた文書に新興国の首脳らは署名した。BRICsはかつての新興工業経済地域()や東南アジア諸国連合()同様経済成長が目覚しく、またそれらの国々のGDPや貿易額が世界に占める割合は近年急速に高まっており、世界経済に多大な影響を与えるまでになっている。広大な土地・豊富な人材・豊富な資源を有するのに加え、ここ数年あるいは数十年で様々な改革を進めてきたことにより、結果として潜在力を実際の成長率に反映させることが可能になった。その結果、2008年5月時点で G6(日独英米仏伊)の15%に過ぎない経済規模は、2025年には約半分の大きさに、2040年頃には先進国を上回り、2050年の時点ではBRICsがG6の1.5倍の規模になるとみられている(「#2050年のGDP予測」節を参照)。5カ国が注目される理由として、特に3つの点が挙げられる。経済データの出典元は国際通貨基金の2013年4月時点のものとし、単位は10億米ドルである。ブラジルは、2050年にはGDPが6兆740億ドルで世界でも5位という高い経済水準にあると予測されている。地域大国として南アメリカ大陸に強い影響力を持ち、ブラジルのフォルタレザでBRICS首脳会議が開かれた際も南米諸国連合が共同主催した。2000年代のブラジルの経済成長の基礎は、1990年に就任したフェルナンド・コロール・デ・メロ大統領によって築かれたと言える。1970年代に急速な工業化を遂げた後、1980年代から1990年代前半は累積債務や高いインフレ率に悩まされ、その成長は鈍化していた。そのためコロール政権は、戦前の大恐慌後から続いた輸入代替政策を転換し、輸入制限の撤廃や国営企業の民営化、周辺国とメルコスールの創設の準備など、市場メカニズム導入と対外経済開放による発展に道を開いた。また1992年に就任したイタマル・フランコ政権は、年に数千パーセントというハイパー・インフレへの対応として、1994年に旧通貨クロゼイロ・レアルから米ドルに緩やかにペッグ(連動)させた新通貨レアルへの切り替えを行った。1995年から8年間に及ぶカルドーゾ政権は、財政責任法と財政罰則法の制定によって、プライマリーバランスを黒字化させた。財政の健全化が進むと同時にブラジルの国際的信用は高まり、途上国では中国に次ぐ直接投資の受け入れ国家となるまでになった。2002年の大統領選挙では左翼のルーラ候補が支持を集めていたことから、経済政策転換への懸念により通貨急落と株価低迷を招いた。しかし、2003年1月に就任したルーラ新大統領は前政権の政策を踏襲し、金融市場に安心感を与えた。ブラジル経済はラテンアメリカ最大の経済であり、貿易が成長の鍵を握っていると指摘される。貿易依存度については、1994年が15%未満であったのに対し2003年には約25%へと、わずか10年で急激に高まった。特に輸出の拡大が顕著であり、これはブラジル政府が輸出の拡大に加え多様化や高付加価値化などを推し進め、同時に外資系企業の参入、穀物や鉱物資源といった一次産品の価格の高騰がそれを後押しする形となった。2004年にはブラジルの貿易収支は336億9,600万ドルと、これまでで最高となる貿易黒字を計上した。ブラジルの貿易を根幹から支えるものは、南米大陸の約半分を占める広大な大地からの恵みであり、鉱物資源や農畜産物、熱帯雨林に生息する多種多様な生物資源などが挙げられる。2004年の貿易収支に関して言えば、その要因として、輸出量の減少にもかかわらず需要増加に伴う国際取引価格の急騰により金額ベースでは輸出増加という結果になった大豆や、鋼板・建材の生産活動が活発でかつ国内供給能力が不足するなど鉄鉱石の世界最大輸入国となっている中国において、その輸入額が前年比162%増と急伸したことにより過去最高水準となった鉄鉱石の伸びが大きく貢献する形となった。特に鉄鉱石は、中国が鉄鉱石の輸入の約30%をブラジルへ依存しており、世界2位の鉄鉱石輸入国である日本もその20%以上をブラジルに依存するなど、ブラジルは世界的な鉄鉱石輸出国となっている。また伝統的に重工業、中でも航空機産業が盛んで、1969年に設立された国策会社のエンブラエルは小型ジェット機市場の半分近いシェアを誇るなど、欧米諸国をはじめとする世界各国へ輸出されており、その他にも自動車や金属製品が主な輸出製品となっている。これら外需の増加に追い風となるとされているのが、メルコスール圏および 自由貿易協定 (FTA) による自由貿易圏の拡大である。メルコスール圏の拡大により約1.3倍の輸出金額押し上げ効果のあったブラジルでは、メルコスールと他の地域協定との間で関税が撤廃されれば更なる恩恵を受けるものと予想されている。アフリカ関税同盟やインドと特恵貿易協定を締結したのを皮切りに、今後もEU・中米統合機構・カリブ共同体ともFTA実現に向けた交渉を継続しており、実現すれば今後の経済成長に大きな影響を与えるものと考えられている。今後の経済成長に関し、とりわけ問題視されているのが財政赤字と通貨膨張(インフレ)である。債務問題については、プライマリーバランスが黒字化したとはいえ、2003年末時点の公的債務残高はGDPの約59%に達しており、中長期的な経済成長の達成を阻む要因となりかねない。2005年2月時点での債務残高は3,505億ドルに上るなど南米最大の債務国になっており、また過去の債務に対する利払い負担もGDP比で7%を超えている。今後はプライマリーバランスの更なる改善が必要で、公的債務の削減と利払い負担の軽減が急務となっている。また、通貨膨張抑制に関する為替レート変動も懸念されている。これまでは対外債務削減策に対する信頼を背景として対ドル為替レートがレアル高傾向で推移してきたため、国際商品市況の高騰によるインフレ圧力は抑制されていた。しかし今後、連邦準備銀制度理事会が通貨膨張への懸念により政策金利を急ピッチで引き上げるような事態になればレアルが下落傾向に転じ輸入物価が急騰するといった事態が予想されており、そうなれば、金融政策による通貨膨張制御は困難を極めることになると指摘されている。ロシアはGDPにおいて、2028年にはドイツを上回り欧州最大の経済国となり、2050年の時点では世界6位となる5兆8,700億ドルになると予測されている。しかし2009年段階でロシアのGDPは世界8位であり、2020年にはすでにイギリス、フランスを抜く可能性も考えられる。1990年代、ソビエト連邦崩壊後のロシアではハイパーインフレが襲い、鉱工業生産が落ち込むなど、経済・政治・社会などの面で大きな混乱が続いた。そうした中で、市場経済化に向けて急進的な経済改革を推し進めたのがロシア連邦の初代大統領ボリス・エリツィンである。エリツィン政権が抜本的な構造改革を断行し、市場経済に基づく民主的な新生ロシアの礎を築いたことにより、今日まで続くロシアの経済発展があったとされる。ウラジーミル・プーチンは1999年12月、エリツィンの突然の辞任を受けて首相から大統領代行に就任し、翌2000年3月の大統領選挙に勝利、ロシア連邦の2代目大統領に就任した。2005年3月の大統領選挙では得票率71%で再選を果たしたのち、2008年5月に大統領の座をドミートリー・メドヴェージェフに譲り、首相に就任した以降も国民からの人気が高く、政治的な影響力を保持した。2012年5月にはプーチンが第4代大統領に就任した。プーチンの経済政策の特徴は、エリツィン同様に市場経済重視の自由主義政策を推進する一方で、エリツィン時代に政治力を強めた新興財閥(オリガルヒ)を弾圧するといった、強権的な側面も併せ持っている。1991年の連邦発足後、急速な市場経済移行に伴う経済的混乱から大幅なマイナス成長が続いたほか、1998年にはロシア通貨危機に伴う金融市場の混乱を経験したものの、ルーブル切り下げ効果による輸入代替産業の復調や原油価格の高値での推移を背景として、その後は実質成長率が6年連続で前年比プラスを維持するなど回復傾向を辿っている。とりわけ、2004年の10月 - 12月期の実質GDP 成長率(前年比+6.7 %)に占める個人消費の寄与度が+6.2 % に達するなど、個人消費はロシアの経済成長にとって大きな原動力となっている。その背景には、原油価格の上昇による石油関連企業の業績の向上が、雇用・所得環境の改善に繋がっていることが挙げられ、加えてモスクワなど都市部におけるライフスタイルの欧米化(自動車や電化製品などの浸透)の流れも影響しているとみられている。足元のロシア経済の成長を支える原動力となっているのは、豊富な生産量を誇る原油や天然ガスなどのエネルギー資源で、石油・天然ガス産業は GDP の25%、輸出収入の約55%、国家歳入の約35%を占めるまでになっている。原油価格の暴落を警戒する石油輸出国機構各国が石油生産能力の拡大に慎重なスタンスを採り続けてきた中で、近年ロシアは原油生産をさらに強化しており、原油生産量の推移をみると2003年にはアメリカを抜いて世界2位に、2004年にはサウジアラビアを上回り世界1位となった。こうしたロシアの原油生産の拡大は、原油価格の高騰と相俟って景気回復に寄与してきたとみられている。原油価格の動向と貿易収支の関係をみると、原油価格の上昇は貿易収支の大幅な改善に結びついているという構図があり、加えて、石油や石炭に比べて温暖化ガスや硫黄酸化物の排出量が少ない天然ガスに対する世界的な需要が高まるなかで、ロシアの天然ガス埋蔵量は、世界全体の約27%を占めている。また、ロシアはサハリン沖を中心とした天然ガスの開発に注力していることから、今後は天然ガス輸出の増加も、ロシア経済の好調を更に後押ししていくものと見込まれている。BRICs四カ国の中では唯一人口の減少が予想される(既に毎年70万人前後の数が減少し、30年間で20%減ると予想される)にもかかわらず、これら豊富な資源によってロシア経済は継続的な発展が可能とされており、その他にも、ソ連時代の遺産とも言える、高度な科学技術力による高付加価値の航空宇宙産業・軍需産業や、IT産業、高度な教育水準による豊富な人材などにも注目が集められている。また、ユーラシア経済連合によって巨大な経済圏の創出を目指しており、ロシアのウファで開かれたBRICS首脳会議もユーラシア経済連合が共同主催した。ロシアの経済成長を妨げる可能性がある要因として、大きく4つの問題が指摘される。経済の長期展望をする目安となるひとつが人口である。インドは2060年年ごろまで人口が増加し続ける。インドが中国を抜いて世界一の人口大国になるのは2028年と予測され、この時点で、インドの人口は14億5000万人に到達する。中国経済は2030年ごろにはピークアウトし、インド経済は中国失速後も成長を続けるということになる。Citi Private Bank社らの調査では、2050年までにインドが世界最大の経済大国になると予測する。2050年までに購買力評価が85兆9700億ドルに達する見込みで、同時期の中国は80兆200億ドルになるだろうという。1991年に誕生した国民会議派のナラシマ・ラオ政権は、1947年の建国以来続いていた混合経済体制と呼ばれるインド独自の社会主義的な経済運営の結果として現れた外貨準備高の減少や経済低迷といった現象を受けて180度の政策転換を行い、資本の自由化・各種の規制緩和・貿易と為替の自由化・公営企業の民営化・金融制度の改革等を取り入れた。また1996年以降も、政権政党の交代にもかかわらずラオ政権が推進してきた経済の自由化政策は継承されていった。2005年の4-5月に行われた総選挙では、政権交代によって経済改革路線の継続が危ぶまれたことから一時的に株価が急落したが、ラオ政権で経済改革を主導したマンモハン・シン元財務相が新しい首相に選出されたことから、新政権に対する金融市場の警戒は薄らいだ。1991年以降、経済改革に取り組み、特に2003年以降は概ね年間7-9%の経済成長を達成し、2010年度も8.5%の高い経済成長率を達成するなど、成長著しいBRICsの一員として注目を浴びている。農業をはじめとする第一次産業は、世界第2位の規模を誇り、植物育種や灌漑設備の整備、農薬の普及といった「緑の革命」を実施し、独立後60年あまりで人口が12億人にまで増えたにもかかわらず、自給自足達成国となった。世界で最も成功した米生産国の一つである。2006年には450万トンを輸出する主要な米輸出国である。インドの農地面積は1億7990万ヘクタールあり、農業は労働人口の52%が従事し、GDPの16%を占めるインド経済の中心である。また農業部門がGDP成長率に及ぼす影響では、一部の例外を除き農業部門が不振であった年は成長率が4%台に押し下げられている。こうした背景には、インド国内の灌漑施設まだ不十分であり、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。インドは世界第14位の工業生産国であり、2007年において工業でGDPの27.6%、労働力の17%を占める。経済改革は外国との競争をもたらし、公的部門を民営化しこれまでの公的部門に代わる産業を拡大させ、消費財の生産の急速な拡大を引きおこした。経済改革後、これまで寡占状態で家族経営が常態化し、政府との結びつきが続いていたインドの民間部門は外国との競争、とりわけ、中国製の安価な輸入品との競争に曝されることとなった。コストの削減・経営体制の刷新・新製品の開発・低コストの労働力と技術に依拠することにより、民間部門は変化を乗りきろうとしている 。近年の高成長は主に情報通信技術部門の成長がもたらしている。インドは先進国企業の情報技術導入が進むなかで、コンピューターソフトウェアの開発及び販売・欧米企業の情報技術関連業務のアウトソーシングの受注を拡大させている。ITソフトウェア産業は1990年代を通じて年率50%近い成長を遂げ、IT不況を迎えた21世紀に入っても 20%台の順調な成長を続けており、2003年時点では国内GDPの2.6%を占めるまでに至っている。工科系の大学を中心として毎年30万人を超える情報技術者を輩出していることや、労働コストが低廉であること、「0」の発見に象徴されるように伝統的に理数的思考を得意とする民族であること、準公用語に英語が含まれていることなどがそれらの要因となっている。さらに、インド工科大学やインド科学大学大学院といった優れた教育機関を卒業後、待遇面の良さなどを背景にアメリカのシリコンバレーなどに移住するインド人技術者は増加傾向にあり、その結果ソフトウェアの輸出と在外居住者からの本国向け送金は、インドの国際収支を支える重要な外貨獲得源となっている。事実、2001年以降はこれにより経常収支は黒字で推移した。IT産業以外の分野でも、自動車部品・電機・輸送機器といった分野が伸びており、加えて産業規模は小さいもののバイオテクノロジー・医薬品といった産業の発展にインド政府は力を注いでいる。また、インド経済の成長を支える原動力として、労働力も挙げられる。一国の経済成長を左右する大きな要素の一つである労働力人口に関して言えば、インドの労働力人口は2050年にかけて毎年約1%ずつ増加していくと見込まれており、その豊富な労働力が成長の礎となることが予想されている。また、それらの人口は将来的に実質的な購買力を備えた消費者層(=中間層)となり、有望な消費市場をもたらすものと考えられている。インドは、対 GDP 比で 10 % 近くに達しているにもかかわらず縮小する兆しが見られない財政赤字など、取り組むべき課題が多数指摘されている。まず、成長の基盤となるインフラ水準が著しく低い点もが挙げられる。電力の供給能力が経済成長に追いついておらず日常的に停電が発生する事や、インドの経済成長の主軸とされるIT産業にとって不可欠な通信設備の普及が立ち遅れている事などがその例である。農業をはじめとする第1次産業は、2000年代の現在もインド経済の中心を担っている。この事は、農業部門が産業全体の四分の一を占め、農業部門の就業人口は全体の約 60 % を占めているという事実に象徴される。また農業部門が GDP 成長率に及ぼす影響では、一部の例外を除き農業部門が不振であった年は成長率が 4 % 台に押し下げられている。こうした背景には、インド国内の灌漑施設の整備が進んでおらず、農作物の生産高がモンスーンによる降水量に大きく依存していることなどが挙げられる。直接投資の少なさに起因する工業化の遅れが課題とされる。1947年の建国以来、民間企業の活動や外国企業による投資などを規制し、公的部門を温存する政策を維持してきた結果、工業化の進展が中国などと比べても大幅に遅れている。よって製造業による GDP の押し上げ効果が進展しておらず、また対内直接投資額も少ない。また、インドは建国以来敷いてきた各種産業への外資規制が原因となり外資導入の点でもかなり遅れている。また、インドの衛生管理は極めて劣悪な状態にある。インドでは上水道と下水道が併走していることが多く、そのどちらもが破損しており、下水が水道水に混入し、感染症にかかる事例がしばしば報告され、感染症の宝庫などとされている。日本の外務省もインド渡航者に対して、厳重な衛生面での注意と渡航前のさまざまな予防接種を推奨している。2000年以降ではニューデリーなどの都市部に加え地方における大気汚染も激しさを増している。2013年以降の調査ではインドの大気汚染レベルは世界最悪となっているその他、教育も大きな課題である。中等教育への進学率が半分以下で識字率が6割程度にとどまるなど、他の BRICs諸国と比較しても際立って低い水準にある。教育が人材開発にとって最も重要な手段であり、また学校教育がその後の応用的なあらゆる教育の基礎となる点を考慮し、教育水準の低さが今後の経済成長にとって足枷になると警笛を鳴らす学者も少なくない。インドは核拡散防止条約 (NPT) に加盟せずに核開発を行った国である。原子力供給国グループ (NSG) はインドの核燃料、核技術の輸出入を無条件で例外扱いとして認める採択を行っている。これに対し、NSG加盟国である日本やヨーロッパ諸国は、インドが核実験を行った場合は例外扱いを取り消すべきだという立場をとっている。2005年12月20日に中国国家統計局は、国際機関から過小評価されていると指摘のあったGDP値を上方修正し、2004年実績をそれまでの公表数字の16.8%増となる1兆9,317億ドルとした。これによりGDP値でイタリアを抜き、フランスに次ぐ世界6位に浮上した(英統計局が同年12月25日に発表した速報値では、中国は既にイギリスとフランスをも上回っており、世界4位であるとされている)。今後も2008年にドイツを、2017年には日本を、2039年にはアメリカをも上回り、世界最大の経済大国になるとされている。2050年のGDP値は2位のアメリカを大きく上回る44兆4,530億ドルであると予測される。しかし、最近米国などでは、2040年頃には一時的に中国が米国をGDPで上回るものの、中国内の高齢化などの理由により、再度米国が中国を逆転し、またインドが中国を追い抜くという論議が出て来た。2050年の予想GDP順位は、米国、インド、中国とする専門家もいる。GDPは2010年に日本を追い抜き世界2位となった。国際通貨基金・世界銀行・CIAワールド・ファクトブックによれば、2014年に購買力平価で世界最大の経済大国となった。1978年に始まった中国の改革開放政策は、1989年の天安門事件によって頓挫したかのように考えられた。そうした状況が一変したのは1992年1-2月に当時の最高実力者であった鄧小平が、深圳や上海などを視察した際の南巡講話からである。南巡講話によって沈滞ムードは消え去り、改革開放路線は再び勢いを得ることとなった。天安門事件直後、鄧小平が総書記に抜擢した江沢民は党内基盤が弱く、当初は短命政権と見られていた。しかし、江沢民は徐々に権力基盤を拡大し、2002年まで13年間に亘る長期安定政権を築いた。この間中国は、香港の返還や北京オリンピック・上海万博の招致、WTOへの加盟など数々の実績を挙げ、結果として経済の高度成長に結びついた。江沢民から2002年に中国共産党総書記、2003年に国家主席の地位を継承した胡錦涛政権は、前政権の政策を踏襲し着実な政策運営を行っている。結果として2003年の実質 GDP は1978年に対して約 9.4 倍にまで拡大しており、今後も、日本が1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万博を経て経済大国入りしたのと同様に、2008年の北京五輪と2010年の上海万博による経済効果が期待されている。貿易の急速な伸びと外国からの直接投資の増加によって支えられている。2002年の貿易総額は6,208億ドルで前年に比べ約22% 伸び、貿易黒字は304億ドルを計上、外国からの投資合計額も550億ドルに上っている。そのうち華人地域からの投資が半分を超え、中国経済を支えている。対世界の発展途上国向け直接投資の3割、日本を除いた対アジア向け直接投資の5割を占めている。また、2003年には契約金額ベースで535億ドルと、初めてアメリカを抜き、ルクセンブルクに次ぐ投資受け入れ国となった。結果として中国の外貨準備高は、1992年の194億ドルから2004年末には6,099億ドルまで膨れ上がっており、日本を超え世界最大の外貨保有国となっている。また、2002年以降、中国経済は新たな高度経済成長期に入り、居住や交通条件の改善といった消費構造が高度化し、住宅・通信・自動車などの成長産業が新たな高度経済成長を引っ張る主導産業となった。この高度成長は産業構造の高度化や体制刷新、2001年のWTO加盟を含め一層の広がりを見せる対外開放などを背景に比較的長期間続くものと見られている。国家統計局は、経済構造調整の結果として珠江デルタ、長江デルタ、環渤海地区、東北の旧工業地帯が多極的に発展する枠組が形成されつつあり、中国経済の発展に大きな余地がもたらされ、さらに農業の産業化、伝統工業の改造、ハイテクノロジー産業とサービス産業の発展が中国経済に新たな活力を注入すると同時に経済成長に対して新たな原動力を提供しており、2020年までの7%成長は充分見込めるとしている。中国では貧富の格差が拡大している。この格差は都市住民と農村住民の所得格差、地域の所得格差、業種の所得格差など様々な面における格差拡大によって引き起こされたものである。都市と農村での所得格差は、1978年 - 1985年には農村改革が重点であったことから、平均所得の比率は2.57:1から1.85:1に縮小した。しかし、改革の重点が都市に移るとこの比率は年々拡大を始め1994年には2.86:1にまで広がった。1995年から1998年までは一旦減少するものの、それ以降は再び拡大を始め、2001年には改革開放以来最高となる2.92:1となり、ジニ係数も一般的に警戒ラインとされる0.4を超えた。また、地域間においても格差は顕著に広がっている。東部と中部、東部と西部での GNP の差は1990年時点ではそれぞれ898元と1,079元であったのに対し、1995年には3,539元と4,203元に、2000年には5,352元と6,674元にまで拡大した。西部地域のGDPは東部地域のGDPのわずか40%の水準となっており、とりわけ貴州省と上海市との差は12倍を超えている。今後は西部大開発や東北新興などの対策に格差改善の期待が寄せられている。また、業種の所得格差も拡大した。不動産・金融・保険といった最高所得の部類と、飲食サービス業・製造業・採掘業などの最低所得部類とを比較すると、その所得の比は1990年の1.72:1から1999年の2.63:1に拡大した。また、電力において近年は毎年15%近く使用量が伸び続けており、電力不足が深刻化しつつある。エネルギー多消費産業の素材業種で投資・生産活動が拡大したこと、経済発展に伴う家電製品普及率の上昇によるもので、今後もこの増加傾向は変わらないものと見られている。中国政府も三峡ダム建設などの対策は講じているものの、この電力不足が長く続くようであれば、成長の原動力となっている外国企業誘致にも支障をきたすことが懸念されている。さらに、2005年7月より実施された人民元改革の影響も不透明である。元の切り上げによる元高により海外で中国製品の価格が上昇するため、海外から中国への進出企業は減少し、同時に輸出量の減少を招く。経済成長の原動力とも言える大量生産・大量輸出の陰りは、中国にとっては大打撃となる。また、輸出品の価格が上昇するのに対し輸入品の価格は下がるので、元来非効率な生産方式を採っていた農業従事者などの間からは失業者が出てくることが予想される。今後もアメリカなどから一層の切り上げ要求が予想される。2000年の調査では、中国の60歳以上の人口は1億5,000万人 - 2億人に達したといわれている。今後、高齢者の医療・介護が深刻な問題として浮上してくる。また、急激な経済成長がもたらす、光化学スモッグ、CO2の増大など温暖化に伴う砂漠化の広がり(北京の40kmまで砂漠が接近している)、周辺国やアメリカ西海岸まで飛来する黄砂や大気汚染、日本海に押し寄せ、深刻な漁業被害を与えているエチゼンクラゲの問題など、緊急な課題が山積している。1994年にアパルトヘイト(人種隔離政策)が撤廃され、それまで土地を持つことができなかった黒人が経済発展により住宅を購入するようになり、2010年にはFIFAワールドカップ開催のため、国内のインフラが急速に整備された(経済効果4,700億円)。また、地域大国としてアフリカ大陸に強い影響力を持ち、南アフリカのダーバンでBRICS首脳会議が開かれた際はアフリカ連合が招待された。南アフリカの経済はアフリカ最大規模の経済であり、金や白金等の貴金属・レアメタルが産出され、白金は世界シェア75%を誇る。アパルトヘイトが撤廃されたが、地域・階層による貧富の格差は未だ著しく、エイズの流行に歯止めがかからない状況である。隣接国からの経済難民の流入により、治安が著しく悪い。5カ国の世界経済への影響力がますます強まる中で、その発展の副作用としての世界経済へのマイナス影響も無視できなくなるとされている。アメリカの投資銀行であるゴールドマン・サックス(以下GS)では、2050年における世界各国のGDPを次のように予測している。BRICsは人口の増加、資本の増加、労働生産性の増加などを起因として経済成長を成し遂げ、2004年にはいずれも5 - 9%台の成長を果たすなど、近年では世界平均を上回る高水準の成長を記録している。今後はさらに資本蓄積・技術革新による生産性上昇なども見込まれており、IMFの予測によると2005 - 2006年にかけても、中国の8%台を筆頭に、軒並み高い成長を維持する見込みとされている。結果として、2006年5月の時点で世界のGDPの約8%を占めるに過ぎないその経済規模は、2039年に経済大国G6(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア)にスペインを加えた合計を上回り、2050年時点でのGDPは下表のように順位が入れ替わると予想した。これにより米国一極支配が崩れるとされている。2007年3月28日のレポートでは、諸国が軒並み高成長を続けていることを根拠に、2003年の予測は「控えめ過ぎたくらいだ」として、2050年のGDPは下表の順位になるとしている。同社の数値や順位は調査年ごとに入れ替わることがある。2007年4月17日のレポートでは、2050年の中国のGDPがアメリカの2倍以上の80兆ドル近くになると予測している。日本経済研究センターが2008年1月17日に発表した購買力平価ベースのGDP予測では、中国の急成長は暫く続き、2020年頃には世界最大の経済規模になるが、高齢化などを理由に成長率が鈍化し、2050年頃には僅かながら米国が抜き返すとしている。1位: アメリカ 2位: 中国 3位: インド世界最大の会計・コンサルティング会社であるプライス・ウォーターハウス・クーパースが、2008年3月4日に発表した予測では、2025年前後に中国が米国を抜き、世界最大の経済規模になる可能性が高く、その後も成長を続け2050年までには米国より30%大きくなり、インドは2050年までに米国の90%の規模に成長するとしている。また、ブラジルは2050年までに日本を抜き世界4位に躍り出て、ロシア、メキシコ、インドネシアもドイツや英国を抜く力を潜在的に持っていると予測している。1位: 中国 2位: アメリカ 3位: インド 4位: ブラジル 5位: 日本 6位: ドイツ・英国・ロシア・メキシコ・インドネシアインドの順調な経済成長から近い将来、同国が日中独を抜いて米国に次ぐ経済大国になるという分析が、インドのエコノミストから出ている。GS社の1人の若い女性社員が作成した、50年も先を予測した報告書に疑問点がないわけではない。同社の2005年12月1日のレポートでは、韓国の2025年のGDPは、世界8-9位になるとしたものの、予想は外れ、2007年の同社のレポートでは、12位に下方修正している。ドイツの2050年のGDPも欧州最大の8位になるとしていたが、2007年版では英国などと順位を入れ替え10位に下方修正した。日本についても、8兆ドル強との予測を覆し、6.7兆ドル弱に変えている。また、開発金融研究所のレポートでは、GS社の予測は楽観的過ぎるとして、その理由に為替レートの引き上げ問題などを挙げている。GS社は中国の為替レートは2032年までに2.63倍、インドは2.19倍に切り上がることを前提にしている。しかし、例えばインド経済が約20年で2倍以上の為替レートの上昇に耐えられるのか疑問視している。ちなみに、2003年の為替レートをベースに日本の成長率が1%以上(1%未満の成長率をすべて1%に直して計算)であるとして推計すると、インドが日本に追いつくのが2048年頃で、2050年日本のGDPは7.5兆ドルで、インドの7.3兆ドルを依然として上回っているとする見方もある。インド、ブラジル、南アフリカ共和国、中国の英語の名前の頭文字を繋げた造語。これは、ロシアが新興国として扱われることに抵抗感を持っていること、南アフリカとの関係強化を目指すイギリスがその知名度を高めておきたかったことなどから、2005年2月のG7において議長国のイギリスにより発表されたものである。BRICsの名付け親、ゴールドマン・サックス社は2005年に出した予測で、に続く経済大国予備軍「」として、韓国、バングラデシュ、エジプト、インドネシア、イラン、ナイジェリア、パキスタン、フィリピン、トルコ、ベトナム、メキシコの11カ国を示した。国際経済研究所の「(2005年1月)」では、BRICsおよび南アフリカの5カ国にアルゼンチン、インドネシア、韓国、メキシコ、サウジアラビア、トルコを加えた計11カ国が、今後の世界経済に大きな影響を及ぼす として取り上げられている。これらの国は全てG20の一員でもある。2006年9月4日付けの日本経済新聞にて紹介された造語。 からブラジルとロシアを省き、代わりにベトナムとタイを加えたもの。ブラジルが日本から地理的に遠いこと、ロシアに投資するリスクが高いことと、日本企業の中国投資の変更先としてこの2国が注目され始めていることから言われるようになったが、一般的な知名度は非常に低い。BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2006年11月に提唱した造語。同年12月には日本経済新聞にも引用された。ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチンの英語の国名の頭文字を繋げたもの。地理的なバランスと高成長のための条件、すなわち豊富な天然資源、労働力の増加、外資の導入、政情の安定、購買力のある中産階級の台頭を勘案して、新興国からポスト の候補が選出されている。BRICs経済研究所のエコノミスト門倉貴史がBRICsに続くグループとして2008年1月に提唱した造語。マレーシア、エジプト、ドバイ、サウジアラビアの4カ国の英語の名前の一部を繋げたもの。いずれもイスラム教国でありイスラム金融が浸透している新興国のグループ。PwCが公表した報告書に記された7国(中国、インド、ブラジル、メキシコ、ロシア、インドネシア、トルコ)。HSBCホールディングスが提唱した造語。コロンビア、インドネシア、ベトナム、エジプト、トルコ、南アフリカの6カ国からなる。アメリカのコンサルティング企業であるユーラシア・グループのイアン・ブレマーが提唱した造語。20世紀にアメリカと共に発展してきたが21世紀には衰退が始まっている日本、イスラエル、イギリスをグループ化した。これらの国は近隣諸国の発展に伴い地政学的な問題を引き起こすリスクがある点も共通しているという。
出典:wikipedia
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