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まいける (お笑い芸人)

まいける(1972年5月12日 - )は、お笑いタレント(ピン芸人)、ダンサーである。現在の芸名は2008年2月からのものであり、それまではカタカナ表記でマイケルと名乗っていた。1990年、ミュージカル『スターライト・エクスプレス』でイタリアの機関車「ペンデリーノ」役として出演(当時18歳)。その後『スターライト・エクスプレス』で共演した若手3人により吉本興業初の男性アイドルグループ「MAM(マム)」のメンバーとしてデビュー。デビュー曲は「Take a Chance」。光GENJI全盛期の頃で、彼らもローラースケートを履いていたという。MAMは関西では一定層の人気を博したものの、全国区でのブレイクには至らず、1992年に解散。解散後は吉本新喜劇やCM、主にavex系アーティストのバックダンサー、インストラクター(振り付け)などを中心に活動を展開していた。その後2000年、エンターテイメント集団「TOKYO JAM COMPANY」のメンバーとなる。2001年4月から2年間、NHK教育『うたっておどろんぱ』に「ひでき」役でレギュラー出演。この間、芸名を「マイケル」に改名。由来は「ダンスが"まぁイケる"」から。2002年6月9日に行われた吉本が主催する初のダンスコンテスト「よしもとダンスコレクションVol.1」に出場し、クラシックバレエをモチーフにしたパフォーマンスで他を圧倒、優勝を飾った。この頃から芸人としても活動を始める。2000年に行われたASAYAN20世紀最後男性ボーカルオーディションの予選に出場していた。実家は大阪府内で畳屋を営んでいる。芸人転向直後、給料はダンサー時代から大幅に減り、都内の築40年の家賃2.8万円のアパートで生活していたが、当時の自室は物凄く長い部屋であった。その自室の壁には事務所の先輩で、自身を見出したネプチューン・名倉潤(マイケル自身「名倉師匠」と呼んで崇めている)の写真を貼り付けて、毎朝拝んでいたとのこと。その名倉潤の『爆笑問題のバク天!』での後押しもあってブレイク。芸人としてようやく軌道に乗った2005年春、家賃月8万円のマンションに引っ越した。容姿や言動などからゲイであると勘違いされがちだが、恋愛対象は女性である。なお、ダンスのインストラクターだったKABA.ちゃんに告白されたことがあるが、興味がなかったので断った。ところが、その直後からKABA.ちゃんはマイケルに対し、スパルタ路線を敷くようになった。この一件でダンサーとしての将来に不安を感じ、芸人に転じるきっかけとなったという。2006年11月15日、母の看病をすることを公式の理由として、10月末で芸能活動休止。2008年2月、占い師の横田淑恵(銀座の母)によりひらがなの「まいける」に改名し芸能活動再開。マイケルの主な持ちネタは小咄系で、オチは全て「マイケル♪」。まず、ツカミでは「♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪やーっほやっほやっほ♪ マイケル♪」とスキップしながら登場。あらかじめ登場している場合は、普通の服装だったのが「♪マイケルマイケルマイケルマイケル……」と踊りながら早脱ぎして、いつものダンス時の服(黄色のラメ入り袖無しジャケット&短パン)になるのが定番。そしてネタに入るが、「1枚、2枚、3まいケル♪」とマイなどにかけた「~マイケル♪」で終わるパターンが多い(パッション屋良の「ん゙~!ん゙~!」と若干似たようなところがある)。たとえすべってもポーズを作って「マイケル♪」と強引にオチに持っていくのがパターン。更に「マイケル マイケル お笑い 勉強不足♪」「マイケル マイケル 空気が読めないプン♪」と、自身を自虐してみたりもする。また、卓越したダンスのテクニックを活かし、ネタの合間に「踊らせて♪」と言ってダンスを披露。しかし実は「マイケル マイケル ダンスは時間稼ぎ♪ 便利♪」なのである。また、追い込まれていっぱいいっぱいになると、「きりきりまいケル♪」と言う。そしてシメは「おしまいケル♪」。バラエティ番組『ズバリ言うわよ!』で、細木数子に「『マイケル♪』は止めなさい」と言われたが、「舞台とかライブとかでやっている」(出演当時持ちネタ歴3年半)と反論。この他、複数の芸人と競演する際に「マイケルさんって、ダンサーなんですよね?」と振られると、思いっ切りオーバーアクション(一式ダンスする)を取った上で「誰がダンサーやねん!!」と絶叫する、という一発芸を持つ。

出典:wikipedia

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