アストルガ ()は、スペイン、カスティーリャ・イ・レオン州、レオン県の都市。サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路の「フランスの道」途上の町で、司教座が置かれている。アストルガは最初ケルト人の定住地があり、後に古代ローマの砦アストゥリカ(Asturica)が築かれた。紀元14年にローマ都市がつくられ、アウグストゥス帝によってアストゥリカ・アウグスタ(Asturica Augusta)の名を贈られた。今日も、ローマ時代の浴場が見られる。ローマ時代のアストゥリカは、北西スペインの重要都市だった。プリニウスは市をウルブス・マグニフィカ(Urbs magnifica、壮大な都市)と呼んだ。アストゥリカからエメリタ(Emerita、現在のメリダ)へ向かうプラテア街道があった。スペインで最初に設置された司教座3箇所のうち、1つはアストルガで、アストルガ司教の地位はヨーロッパ最古の信仰の義務を負っていた。ムーア人に対するアストゥリアス王アルフォンソ1世の遠征後(739年-757年)、アストルガは見捨てられ、ムーア人対キリスト教徒の間の広大な無人の緩衝地帯(当時ドゥエロの砂漠と呼ばれた)の中に置かれた。再移住が始まったのは1世紀後で、アストゥリアス王オルドニョ1世の代であった。アストルガは11世紀まで衰退時代にあったが、その後巡礼路の主要宿場となって成長した。15世紀、大聖堂の建設が始まり、18世紀終わりまで続いた。スペイン独立戦争では、アストルガはナポレオン軍に包囲された。アストルガは、ナポレオン1世が滞在したイベリア半島中最も遠い町であった。自治体首長はカスティーリャ・イ・レオン社会党(、PSCyL)のビクトリーナ・アロンソ・フェルナンデス(Victorina Alonso Fernández)で、自治体評議員はカスティーリャ・イ・レオン社会党:7、カスティーリャ・イ・レオン国民党(、PPCyL):7、PAL-UL:3となっている(2011年5月22日の自治体選挙結果、得票順)。アストルガはアストルガ司法管轄区に属し、同管轄区の中心自治体である。その他に大聖堂付属美術館、チョコレート博物館、ローマ博物館がある。
出典:wikipedia
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