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Su-27 (航空機)

Su-27(スホーイ27、スホイ27; )は、ソビエト連邦で設計・製造された戦闘機である。現在でもロシアを中心とする旧ソ連諸国や第三世界で使用されており、改良された本機はアメリカ合衆国のF-15 イーグルにも匹敵する極めて高い格闘性能や長大な航続距離を誇る。ロシアでは、非公式な愛称として「鶴」の指小形である「ジュラーヴリク」() を用いている。Su-27は「フランカー」(:ラグビーやアメリカンフットボールのポジションの一つ)という名称でも呼ばれるが、これは北大西洋条約機構 (NATO) がつけたNATOコードネームである。1960年代の終わり、ソ連防空軍は新たなる防空戦闘機の開発を計画した。想定敵である西側諸国、特にアメリカ合衆国とイギリスの保有する超音速/遷音速長距離爆撃機、及び開発中と見られるXB-70新型超音速爆撃機に対しては既にMiG-25の配備とその後継機MiG-31の開発が進められていた。しかし、アメリカがMiG-25に対抗するために新型戦闘機の開発を進めていたことから、ソ連空軍/防空軍としてもそれらに対抗しうる新型防空戦闘機の開発が急務とされていた。従来、防空軍にとっての「迎撃戦闘機」として求められる要件は以下のようなものであり、実現の過程において必然的に機体の大型化を招いた。なお、それまでに完成した迎撃戦闘機は、いずれも、長射程の空対空ミサイルを装備して超音速で飛行すること以外の能力を殆ど持たない「対爆撃機迎撃専用機」として開発・配備されることになった。しかし、アメリカ空軍が空中給油の技術を完成させて小型の戦闘機に対する空中給油を可能にしたことにより、長距離戦略爆撃機にも戦闘機の護衛が付くこととなった。さらにベトナム戦争の戦訓から、領海に接近した空母機動部隊(現 空母打撃群)の搭載機による対地攻撃が大きな脅威となることも認識されるようになった。これらのために、防空戦闘機であっても爆撃機以外との空中戦が発生することが想定されるようになった。そのため、爆撃機のみを対象とした機動性能の低い「対爆撃機迎撃機」では機動性能で勝る戦闘機に対して大きく劣ることになる、と判断された。新型防空戦闘機の開発に当たっては、従来の「高速性能」「航続能力」「長射程対空兵装の運用能力」「多弾数搭載能力」に加えて「敵戦闘機と充分な機動戦闘が行える空中機動性能」が求められることとなった。この要求に基づいて、スホーイ設計局に設計開発が命じられた。当局の命令に応じ、スホーイ設計局ではTsAGI(中央流体力学研究所)の研究結果を基に、流体工学的に優れているとされる機体形状を追求した機体の設計を進めた。提出された案は当局の認可を得て正式に「T-10」の設計局内名称が与えられ、試作機の製作が行われた。T-10は“オージー翼”と呼ばれる緩やかな曲線を描いた後退翼の主翼を持つ機体であった。この機体は、ソビエトの実用戦闘機としては初のフライ・バイ・ワイヤによる機体制御を実装して完成され、1977年5月20日にはウラジミール・イリューシンの操縦により初飛行し、各種の飛行テストが進められた。しかし、飛行の結果は好ましいとはいえなかった。迎え角が8度を超えるとLERXと主翼前縁から発生した渦が大きくなって交わり、気流が翼面から剥離することで激しい振動が発生するなど空中安定性が激しく不安定で、機体制御を司る電子機器の信頼性が低く、操縦安定性が極めて低く危険なものであった。1978年には試作2号機であるT-10-2が完成しさらなる飛行試験が続けられた。しかし、T-10-2は超音速飛行試験中に主翼が空中分解を起こして墜落、パイロットのイブゲニー・ソロビヨフが死亡するという事故を起こした。この事故もあり、前任者のナウム・チェルニャコフが病気になったため計画担当になっていたミハイル・シモノフは、T-10設計の根本からの見直しを徹底的に討議・検討し実行した。それにより特徴であったオージー翼を直線形状の後退翼に変更したのを手始めに、ランディング・ギヤ(降着装置)の前脚の収納方式の変更、主翼前縁には、前縁フラップを取付け、主翼後縁には、内側にフラップと外側にエルロンの2つの操縦翼面が取付けられていたのを、1つの操縦翼面とし、フラップとエルロンの両方の役目を持たせたフラッペロンに変更、エアー・ブレーキは、左右の主翼前部の付け根付近で各1枚が下に可動する方式からF-15と同じ胴体上部の1枚が上に可動する方式に変更、2つの垂直尾翼の取付け間隔を大きくするなどのほか、胴体後部のエンジンの間を、薄い平板状のビーバー・テイルから長いテールコーン状に変更して、空気抵抗を減らすとともにドラッグ・シュートとチャフ・フレア・ディスペンサーが装備可能となるなど、機体のほぼすべての箇所に設計の見直しが行われた。これらの設計改良が行われた試作7号機以降は、名称も「T-10S-1」と改称され、1981年4月20日にチーフテストパイロットであるウラジミール・イリューシンの操縦により初飛行した。ちなみにシモノフはこの時に生じた設計局内の軋轢により、設計が一段落した1979年に航空工業省の科学・新技術担当次官として引き取られたが、1983年1月に設計局長としてスホーイに復帰している。T-10S-1の完成により、飛行性能は大幅に改善された。満足する性能を実現したとしてソビエト防空軍及び空軍への導入も決定した。その後、主翼端を曲線形状から直線形状に変更して、そこに地対空ミサイルのランチャーを取付け、垂直尾翼の上端の形状を水平にカットした形状から、前方から後方にかけて斜めにカットした形状に変更する改良が行われた。その後、「Су-27」の制式名称が与えられて量産が開始され、1982年11月には初期量産型の初号機がロールアウトしたが、開発段階からアビオニクス(電子機器)において、多くのトラブルが発生していた影響により、試験と評価のための引渡しが開始されたのは1985年までずれ込こんだ、配備は1986年から開始されている。翌年にはコラ半島の沖合を飛行中にノルウェー空軍のP-3B対潜哨戒機から写真撮影され、初めてその姿を西側に曝した。その際にP-3は従来のジェット戦闘機では追随できないほどの低速でSu-27をやり過ごそうとしたがSu-27は同じ速度で追随し、P-3と接触事故を起こし国際問題となった。機体は、胴体から主翼へなめらかに変化させたブレンデッドウィングボディを採用し、主翼は、前縁に前縁フラップと後縁に翼幅の2/3程度のフラッペロンを装備しており、主翼前縁の付け根からコックピットの下部まで長く伸びたLERX(前縁付け根延長)が形成されている、これは、機体の重心位置の前方において揚力を発生させて、機首上げのモーメントを大きくすることにより、大きな迎角での飛行を可能としている。尾翼の垂直尾翼は垂直に取付けられており、水平尾翼は全遊動式で、ピボット(旋回軸)の位置を胴体尾端に置いており、水平尾翼が下げ位置になっても空気抵抗が発生しないように、引き込み式の流線型のフェアリングが装備されている。また、水平尾翼は左右の水平尾翼を差動させることが可能で、ピッチ軸(ピッチング)の操縦だけでなく、ロー軸(ローリング)の操縦にも使用される。エンジンのエアーインテークには、コンピュータ制御の可変式の取入れ口ガイドベーンが装備されており、飛行中での高機動時において発生するエンジンのコンプレッサー・ストールを防いでいる、また、荒れた飛行場に離着陸の際、異物がエンジンに入るのを防ぐ為、グリット式の異物進入防止柵を装備しているほか、エアーインテークの側面にはルーバー型の補助空気取入れ口が装備されている。操縦装置は4重のアナログ式フライ・バイ・ワイヤ方式を装備しており、それにより機体を制御できるのはピッチ軸(ピッチング)だけで、ヨー軸(ヨーイング)は安定増強を行うだけとなっており、4基の飛行操縦コンピュータには、エアー・データ・ソースが別々の所から送られており、機体に掛かる最大過重では+8.5Gから-2.5Gまでの間、迎角では30度から35度までの間で制限しているが、パイロットが飛行中に操縦桿を15kgの力で一杯に引くことによりリミッター解除スイッチが作動して、その制限を解除することができる。また、あらゆる高度においても、操縦席にあるボタンを押すだけで機体を自動的に水平直線飛行に戻すSAU-27自動飛行操縦装置も装備されており、地上の管制ステーションやAWACS(早期空中警戒機)から機体を直接制御することが可能である。Su-27の最大の特徴は高い機動性であり、機動性の高さを示す例としてはコブラがよく話題にあがる。コブラは水平飛行しているところからさほど高度を変えることなく急激に機首を上げ失速寸前まで速度を落とす機動であり、1989年のパリ航空ショーでテストパイロットのの手によって初めて西側諸国の前で披露し注目を浴びた。発展型であるSu-35では旋回中にコブラを行うフックを行うことが可能であった。さらにその発展型であるSu-37では、高度を変えることなく1回転するクルビットを行うことが可能である。回転半径こそ大きくなってしまうものの/でも可能である。また、Su-27は長大な航続距離とミサイル搭載能力も持ち合わせている。機内燃料のみでミサイルを10t近く搭載し、4,000km近く飛行を行うことが可能である。ミサイル搭載能力については、最大で10発が搭載可能であり、10発の場合は、中距離空対空ミサイルであるR-27を6発、オフボアサイト射撃能力を持つ短距離空対空ミサイルのR-73を4発搭載するのが標準となっている。なお、Su-27の発展型の機体が搭載する射程延長型のR-27EMは約110 kmの射程を持つとされる。また、最新型のR-77は約90kmの射程とされている。Su-27の他の特徴として、IRST、レーザー測距装置や、Shchel (露:Щель) またはSura (露:Сура ) ヘルメット装着目標指示装置 (HMD)やTKS-2と呼ばれる通信システムがあげられる。高い機体性能をもつSu-27だが、アビオニクスは西側と比べ総合的には劣っている。Su-27に搭載されているレーダーは、N001メーチ(NATOコードネーム スロット・バック)パルス・ドップラー・レーダーで、基本的にはMiG-29の装備しているN019 ルービンレーダーと同じだが、機体がより大きいため、レーダーのアンテナ直径は大きくなっており、ルックダウン・シュートダウン能力を持ち、最大10目標の探知が可能で、戦闘機クラス(レーダー反射断面積が3m程度)の目標に対する最大探知距離100km、目標の最大追跡距離75kmの性能を持っている。レーダー画像の表示は、コックピット前方計器盤右上部にある小型のスクリーンに表示されるが、合成開口レーダーの画像はヘッドアップディスプレイ(HUD)にも表示が可能である。しかし、NATOのものと比べると、探知距離・探知数ではそれほど劣らないものの、複数の目標に対する同時攻撃能力が無く、ある目標をロックオンすると、他の目標の捜索や追跡が不可能となり、複数目標の同時ロックオンが出来ないなど他の面でかなり劣る部分があった。そのため、第1目標ロックオン後の第2・3の目標については、地上の警戒レーダーやAWACS(早期空中警戒機)などで目標を捕捉してもらい、その中から優先する攻撃目標の指示をそれらから受けることによりその問題をカバーしていた。発展型ではレーダーの換装が行われており、輸出型のSu-27SKでは、同時攻撃能力が付加され2目標のロックオンが可能なN001VEとなり幾つかのレーダーモードが追加された。また、既存のメーチについても最終的にN001VEPに換装された。その他に自己防御装置としてSPO-15"ベリューザ"レーダー警報システムを搭載しており、その受信部を垂直尾翼後縁に取付けている、これは、相手の航空機から発信されるレーダーなどの電波を受信して、システムに内蔵された情報ライブラリーと照合することにより、脅威電波の識別と度合いのほか、その方向、距離、システムの型式を表示できるようになっている。また、相手のレーダーを妨害するアクティブ方式の妨害装置も搭載しているがその詳細は不明である。後部胴体中央のテールコーンの上にAPP-50チャフ・フレア・ディスペンサーが装備されており、96発のチャフまたはフレアカートリッジを搭載できるようになっている。Su-27は、F-15やF-14などの当時の新鋭戦闘機に対抗して作られた戦闘機であるため、それらと比べられることが多い。初期型のSu-27は、現在の空中戦の勝敗を決定する上で最も重要なレーダーなど電子機器全般の性能や信頼性が、アクティブ式フェーズドアレイレーダー(AESAレーダー)であるAN/APG-63(V)2以降を搭載しているF-15に比べて圧倒的に低い。さらに早期警戒管制機 (AWACS) など後方支援を担当するシステムとの連携もF-15に比べて劣っている。ただし、広大なロシアの国土を効率的に防衛するため、Su-27各型はF-15などアメリカ製の戦闘機が搭載するAIM-120空対空ミサイルなどよりも射程が長いR-27空対空ミサイルを装備している。このため、もし単機同士が向かい合って、電子的な妨害が無い状態で戦闘を行う場合を想定すると(そのような戦闘は現代ではまずありえないが)、ロシア製戦闘機の方が有利であるとアメリカ軍の当局者も認めている。なお、アメリカがシミュレーションでSu-30(Su-27の発展型で、複座の戦闘爆撃機型)とF-15Cの1対1での空戦を行ったところ、ある一定の状況に追い込んだ場合確実にSu-30が勝利するという結果が出た。ただし、「一定の状況」とは「お互いに僚機を伴わず、レーダーサイトやAWACSの管制もなく、その他の電子的支援もないという環境で、特定の戦術飛行をした場合に限る」という状況であり、現実にはこの様な状況はあり得ないことに留意する必要がある。これはF-22の予算を獲得するためSu-30をわざと勝たせたとの説もある。1992年にロシアのSu-27部隊がラングレー空軍基地を親善訪問した際、模擬空戦でSu-27がF-15Cに勝利したという情報もあったが、それは虚偽であるとの情報もあり確かではない。また、Su-27は同時期に開発されたMiG-29と比較されることも多い。しかし、スホーイ設計局では広大な国土を防空する用途として長い航続距離と高い積載能力をコンセプトにして開発されたのに対し、ミコヤン設計局では局地における格闘戦用途の戦闘機という方針で開発された。両設計局とも中央流体力学研究所(TsAGI)の研究結果を基にしたため基本形状が似ているが、その点に関してはMiG-29の項目を参照されたい。なお、1999年2月25日にエリトリアが使用しているMiG-29とエチオピアが使用しているSu-27が交戦した。Su-27がMiG-29を撃墜し勝利に終わっているが、その詳細についてもMiG-29の項を参照のこと。Su-27は多くの発展型が開発・配備されてきた。冷戦後の軍縮とロシアの財政逼迫により、本来は輸出されなかったであろう国内向けの機体や新型機が旧ソ連諸国から海外に売却された。そのため、国内向けの機体よりも輸出向けの機体の開発が先行するというソ連時代では考えられなかった状態が続いた。実際、Su-30やSu-33等一部の新型機が国内向けに配備されているものの、生産された新型機の多くは海外へ輸出されており、国内配備数は2000年代まではごく少数に留まった。しかし、経済の好転したことにより、ようやく国内向け主力機となるSu-27の発展型、Su-27SMが配備され始めた。Su-27SMは、これまで運用してきたロシア空軍のSu-27に寿命中近代化 (MLU) 改修を施した機体で、輸出型として開発が始まったSu-35や、やはり海外向けに公開されていた試験機のSu-37をもとに開発されたものである。単座の戦闘機型であるSu-27SMは、複座の戦闘爆撃機型であるSu-30MKよりも空中戦能力に優れる。レーダーも、より新しく探知距離の長い大型のものが装備されている。また、Su-30MKIなどと同様、推力偏向システムも装備するとされる。ロシア空軍の展示飛行チームのひとつである、「ルースキエ・ヴィーチャズィ」に配備された機体が、2005年に初めて公開された。発展型の国内向け新造機も、Su-35S、Su-30SM、Su-34などが2010年頃から予算化され、納入され始めた。また、Su-27シリーズに対するメンテナンスや小規模な近代改修は、ロシアのほかウクライナやベラルーシでも行われている。複座の練習戦闘機型であるSu-27UBMは、空中給油プローブのないSu-30KNに基づいて開発されたSu-27UBのマルチロール改修型である。ベラルーシで先行配備されていた同種のSu-27UBM1は、イルクーツク航空製造連合の開発したロシア空軍向けのSu-27UBMの派生型となる機体である。今後はロシアにて配備されるのもベラルーシのSu-27UBM1に準じた機体となるようである。最も注目を集めているSu-27の発展型のひとつが、インド空軍に配備されているである。同型は推力偏向システムを備えた初めての実用機として知られている。初期の機体はロシア製のものだが、以降はインド国内で多数のライセンス生産が行われており、インドの航空産業の発展にも大きく寄与している。Su-30MKIの開発が遅れたため、インドにはつなぎとしてSu-30K/MKが配備されていたが、Su-30MKIの配備後には返却されている。なお、Su-30MKの派生型はマレーシアやアルジェリアなどにも配備が進んでおり、同シリーズは現在最も販売が順調なロシア製戦闘機となっている。中華人民共和国には、輸出を睨んで開発されたSu-27Sのダウングレード型(いわゆるモンキーモデル、ただしレーダーは、10目標の同時追跡、2目標の同時攻撃が可能なN001VEに強化されている)である、Su-27SK/UBKが配備されており、また国内で百機弱程がライセンス生産の (J-11) として配備されている。この型は対地攻撃能力が追加されたが、非誘導兵器のみの搭載が可能となっている、アビオニクスに関してはガルデーニヤECCM(:対電子妨害対抗手段)を中核とするLTTS統合防御システムが追加装備されている。これはF-15EのTEWS(内蔵型戦術電子戦システム)であると同等の能力を発揮するとも言われている。また、が76機空軍に、MK2が24機海軍に輸入され配備された。これはSu-35の垂直尾翼を装備しているが、Su-30MKIとは違い推力偏向システムは装備していない。同機の実戦配備により、中華人民共和国は初めて台湾(中華民国)全土への有効な航空攻撃手段を手に入れたことになった。また、遼寧の艦載機にはSu-33をもとにしたJ-15が選定された。Su-27は艦上機型であるSu-33や戦闘爆撃機型であるSu-34など多数の発展型が開発されている。

出典:wikipedia

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