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橘 (橘型駆逐艦)

橘(たちばな)は日本海軍の駆逐艦。仮称5511号艦、橘型(改松型)駆逐艦の1番艦として横須賀海軍工廠で建造された。艦名は植物のタチバナによる。食用柑橘類の総称でもある。艦名としては桜型駆逐艦2番艦に続いて2代目。就役後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(高間完少将・海軍兵学校41期)に編入。瀬戸内海に回航され、1945年(昭和20年)3月15日付で「椿」「桜」「楢」「欅」「柳」とともに第五十三駆逐隊を編成する。4月7日以降は第三十一戦隊(鶴岡信道少将・海兵43期)の指揮下に入り、回天目標艦として大津島方面で行動した。5月7日、「柳」とともに大湊警備府部隊に編入され、5月13日に呉を出港して大湊へ回航された。関門海峡の掃海を待って日本海に移動し、5月21日に大湊に到着した。津軽海峡で対潜警戒に従事する傍ら、6月11日に「柳」とともに大湊を出港して、5月11日に占守島で爆撃を受け損傷した海防艦「八丈」の護衛を兼ねて舞鶴に向かう。その後も津軽海峡の警戒に従事し、函館湾を根拠とした。7月14日、折から日本本土への最終攻撃作戦を行っていた第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)は、朝から艦載機を飛ばして北海道および東北地方の市街や港湾施設、飛行場、艦船を片っ端から攻撃していった。橘の居た函館も例外ではなく、早朝にグラマンの大編隊が来襲した。グラマンは午前5時頃から市街地区及び就航中の連絡船に対して、猛烈な銃爆撃を開始した。橘は5時40分に対空戦闘を開始、函館上空に乱舞中の敵機に対して主砲の発射を開始した。それまでここに駆逐艦がいることを知らなかったのか、この砲撃を見るや約80機のグラマンが橘に突っ込んできた。錨はチェーンを切断して緊急出航。戦闘ラッパを遠くまで響かせ、軍艦旗をスルスルと揚げた。橘は「面舵、取り舵」の連続で右に左に進路を変えた。爆発予防のため『橘』の水雷と爆雷が投棄された。下海岸方面から2機編隊の敵艦載機数編隊が函館市街の上で一度急上昇し、ダイビングしながら1本棒になって襲い掛かった。一瞬、仕掛け花火の火の粉のような火花が橘を取り巻いた。これは次々と襲い掛かるグラマン戦闘機から発射された数十丁の機関銃の曳光弾が橘に当たって跳ね返る火花と、橘から打ち上げられた3門の12.7センチ高角砲の瞬発信管による砲弾の炸裂と二十数丁の機関銃の曳光弾が織りなした死闘の第一幕の壮絶な光景であった。火花を散らしながら、橘は防波堤を中心に港外と港内を全速力で8の字を描き、或いは楕円形を描いて全速航行しながら敵機を迎え討ちあるいは敵機を追尾し撃ちまくり奮戦。2波3派4派と無数の敵は右から左から次々と息衝く間も与えず波状攻撃を与えてくる、敵機に我が打ち挙げる機銃弾は確かに命中して居る筈だが、敵機の撃ちだす火線と重なって識別できない。そのうち1機が白煙を吐きながら反転して市街を横切り方向へ逃げ去った。猛烈な波状攻撃の爆撃に橘の前後左右に時々艦橋に達するような水柱が3度、4度と沸き上がる、火花を散らしながら橘はその水柱を突き破り突進し敵機に機銃、高角砲を撃ち続ける。なぜ橘が行動の自由にできる湾外から海峡に出て戦わないのか、それは湾内の船舶や湾外の2隻の連絡船を護衛する為であった。6時40分ついに右舷に至近弾を受け、機関室に損傷、航行不能となる。動けなくなってからは、まさに敵のよい標的である。銃撃を受けて上甲板の機銃関係員がバタバタ倒れる。修羅場というのはこういう情景を言うに違いない。機関が停止してから十分後の午前六時五十分、四千ぐらいの高度から一列になり次々に急降下してくる艦載機からの爆弾が二、三発艦の後部に命中、艦は瞬時にして右に大傾斜、生存者全員、海上に放り出されることになってしまう。この時、僚艦・柳は「我ごう沈す。6・53」と橘からの電文を受けている。橘は葛登支岬灯台の南東約3海里の地点で右に倒れて沈没していった。生存者は約二時間漂流の後、漁船に救助された。全員海水と重油にまみれ見分けがつかない。着岸したところは西海岸にある茂辺地付近。生存者のうち27名は、臨時列車を海岸付近に停車してもらい函館病院へ搬送し、その他の負傷者47名は茂辺地の病院で応急手当を受け、元気な生存者と共に地元の学校・民家に分宿した。乗員のうち156名が戦死した。8月10日除籍。函館護国神社境内に慰霊碑がある。背面には、『昭和20年7月14日午前5時、米海軍機動部隊より約100機の敵艦載機が函館港停泊中の青函連絡船及び船舶を目標に来襲した。これら船舶の護衛任務にあった駆逐艦「橘 1260トン」は単艦よく敵艦載機の襲撃を一手に引き受け、湾内湾外に勇戦奮闘し、在泊船舶の損害を最小限に食い止め其の任務を遂行した。敵機6機撃墜、1機撃破して午前6時53分葛登支灯台の90度2分3000mに沈んだ。乗組員280名中、戦死者140名、戦傷者31名』と彫られている。

出典:wikipedia

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