碓氷関所(うすいせきしょ)は、上野国の中山道の松井田宿と坂本宿の間にあった関所である。江戸時代、箱根関所とともに最も重要な関所とされた。現在の群馬県安中市松井田町にある。その跡地は、群馬県指定文化財に指定されている。関所のおこりは、昌泰2年(899年)、醍醐天皇の時代、太政官符により、相模足柄とともに碓氷坂に設けられた。中世には、『安中志』によると、関長原(現・安中市松井田横川関長)に関所が置かれていた場所の近くに仮番所が作られた。江戸時代には、碓井関所は、安中藩主井伊直勝が幕命によって関長原に設置したのを、元和9年(1622年)に関長原から、地形的に堅固な上横川村に移転し、宝永5年(1708年)7月に碓氷関所と称した。碓井関所は、中山道の木曽福島関所、東海道の箱根関所、奥州街道・日光街道の房川渡中田関所、甲州街道の小仏関所、北国街道の関川関所、と同様に、「入鉄砲に出女」を取り締まっていた。碓井関所では、徳川幕府による留守居証文により一元的に江戸からの不法な出女を監視していたが、関所近隣在住の女性の通関に対しては特別な配慮もあった。関所の警固は、元和2年(1616年)、井伊直勝が任命されたのが始まりで、代々安中藩主が務めていた。番頭2名、平番3名、同心5名、中間4名、箱番4名、女改め1名が詰めていた。街道東西にそれぞれ門があり、東門を安中藩が、西門は幕府所轄であり「天下門」と呼ばれた。明治2年(1869年)の太政官布告により他の関所とともに廃止された。
出典:wikipedia
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