ヤギェウォ朝()は、ポーランド、リトアニア、ボヘミアおよびハンガリーの王朝。ヤギェロ朝、ヤゲロ朝とも呼ばれる。1386年にリトアニア大公国の大公ヨガイラにより、ハンガリー王をも兼ねたポーランド王ルドウィク1世(ハンガリー王としてはラヨシュ1世)を継承した女王ヤドヴィガ(在位:1384年 - 1399年)との結婚により成立した。王朝の年代は各君主位によって異なるが、それぞれ以下の通りになる。ピャスト朝が1370年にカジミェシュ3世の死により途絶えると、アンジュー朝のハンガリー王ラヨシュ1世が選ばれポーランド王ルドヴィクとして即位した。1382年のルドヴィクの死後、ポーランド王位を継承した11歳の末娘ヤドヴィガは、1386年にリトアニア大公ヤギェウォ(ヨガイラ)と結婚した。ヤギェウォはキリスト教に改宗してヴワディスワフ(2世)を名乗り、ヤギェウォ朝を築いた。1387年、リトアニア全土がキリスト教に改宗した。1399年、ヤドヴィガの死によりヴワディスワフ2世による単独の統治が始まり、以後35年以上継続した。その間に、ポーランド・リトアニア合同の土台が築かれた。ヴワディスワフ2世は己の名前を帯びたヤギェウォ朝の創設者である一方、異教徒としてのヨガイラはリトアニア大公国を創設したゲディミナス朝の後継者であった。王朝は両国を1572年まで支配し、中世後期及び近世の中・東欧で最も影響力のある王朝の一つとなった。ヤギェウォ朝からは後に、ベラルーシ、ボヘミア、ハンガリーの王を兼ねる者も現れたが、1572年に断絶した。ヴワディスワフ3世、ヤン1世、アンナ以外はリトアニア大公を兼ねた(在位期間は重なるが、必ずしも一致しない)。
出典:wikipedia
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