風の子学園事件(かぜのこがくえんじけん)とは、広島県三原市にあった不登校もしくは問題行動をする児童・生徒の更生を目的とした情緒障害児更生施設で1991年(平成3年)に発生した監禁致死事件である。この事件では、施設を紹介した教育委員会の責任も認められた。1991年7月29日午後9時、広島県三原市の瀬戸内海に浮かぶ小佐木島(当時住民26名)にあった「風の子学園」(事件により廃園)から警察へ「姫路市の会社員の長男(当時14歳)と三原市の自営業者の長女(当時16歳)がコンテナ内で熱射病(現在の熱中症)で死亡している」との通報がなされた。2人は喫煙したことに対する戒めとして、前日の28日午前1時ごろ以降、国鉄から払い下げられ同施設内にあったコンテナ(C20形コンテナ)内部に手錠でつながれて監禁状態にされていた。2人の死因は炎天下に44時間監禁されたことにより脱水状態に陥ったためであった。この事件で、監禁致死罪で同施設の学園長の男性(当時67歳)が起訴された。1997年7月15日に一審(広島地方裁判所)で懲役5年の有罪判決がだされ、控訴および上告したが後に実刑が確定した。死亡少年が通っていた中学校では、少年が風の子学園に入る約1年前から校門の前で教師らが生徒の服装の乱れなどをチェックする取り組みが盛んに行われるようになっていた。奇しくもその頃から少年は同じ学校の不良グループと付き合い始めるようになり、クラスの積立金の紛失事故が起こった際にその犯人の疑いが担任教諭の勝手な思いこみから少年にかけられ、少年がその担任教諭を殴打する事件を起こして警察や家庭裁判所の調べを受けた。しかしその殴打事件や不良グループとの交流以外には必ずしも問題があったとは言えなかったにもかかわらず、何かにつけ少年がさも不良化の傾向があるかにとる傾向が学校では蔓延していた。このことを背景に学校の生徒指導担当教諭が風の子学園への入園を勧めたとされる。学校側のこのような姿勢の背景には、学校が当時生徒指導の研究モデル校の指定を受けていたが、本来意図されていた学校の組織体制や教育手法の改善よりも問題のある生徒を安易に民間施設に入れさせ学校から切り離すことの方に学校側の関心が向いていたことが挙げられ、死亡した少年以外にも京都府や香川県の民間施設や児童福祉法に基づく児童自立支援施設(当時の呼称では教護院)である兵庫県立明石学園にも問題生徒を入れさせていた。さらに入園決定には姫路市立少年愛護センター(他都市でいう少年補導センター)の指導主事の方針も深く影響していた。学園長は入園者を集めるため1991年2月少年愛護センター職員の学園の視察を受け入れ、広島県尾道市内の店で酒食の接待をするなど姫路市当局への接近を強めていった。一方姫路市側は学園を視察した際も基本的な生活の場である宿泊施設等は視察せず、学園側の説明を鵜呑みにし問題のコンテナの存在にも全く気づかなかった。少年の遺族は、施設の実態を調べずに紹介した姫路市教育委員会もまた少年の死について法的責任を負うべきであるとして、姫路市を相手に損害賠償を求める民事訴訟を起こした。市は遺族が自発的に少年の入園を決定したものとして、全く法的責任が無いとの見解を表明していたが、裁判では教育委員会の担当指導主事が入園を強く勧めた事実が認定され、一審の神戸地方裁判所姫路支部(1997年11月17日)・控訴審の大阪高等裁判所(1998年12月11日)は原告勝訴の判決をし、被告の姫路市が上告したが最高裁判所が1999年10月1日に棄却し、姫路市の法的責任が確定した。元学園長は服役後の2001年10月に女子高生への猥褻行為により広島県警に逮捕され、2002年6月に広島地方裁判所で懲役2年の実刑判決を受けた。風の子学園の施設は何も使用されず放置されており、事件が起きたコンテナも残されているという。
出典:wikipedia
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