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MS-DOS

'(エムエス-ディーオーエス、エムエスドス)とは、マイクロソフトが開発・販売していたパーソナルコンピュータ向けの16ビットのオペレーティングシステム(OS)である。IBMへのOEM供給品であった ' ()を自社製品として供給・販売したもので、バージョン6以降は から完全に独立して開発された。MS-DOS(およびPC DOS等)は、8086系のマイクロプロセッサをCPUとするパーソナルコンピュータ向けのシングルタスクのオペレーティングシステムで、DOS(ディスクオペレーティングシステム)の名の通り、ディスクの管理が主機能である(DOSという名前だからといって必ずしもそうとは限らないが、少なくともMS-DOSのプロセス管理機能は、シングルタスクに代表されるように、低機能・低性能である)。基本的なユーザーインターフェースはキャラクタユーザインタフェース(CUI)で、コマンドラインインタプリタ codice_1 の表示するコマンドプロンプトにコマンドを与えて操作を行う。一部のメーカーが独自に追加したり、後のバージョンで搭載されたグラフィカルなツールもある。を参考にした階層型のファイルシステムを持つが、ファイル名の制約などが厳しく機能は低い。歴史的には1981年にIBMが初代IBM PC用に発売したDOSが「」で、1982年よりマイクロソフトがIBM以外のメーカーにOEM提供を開始したものが「」であったが、マイクロソフトは後に1981年から「」と呼んでいる。両社はバージョン5まではOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)を結んでおり互換性が保たれた。当時は8ビット市場ではCP/Mが事実上の標準であったが、16ビット市場ではならびにが主流となった。特にはインテルのx86系マイクロプロセッサを搭載した各社・各機種のパーソナルコンピュータに移植され、世界的にはPC/AT互換機、日本では日本電気(NEC)のPC-9800シリーズ、富士通のFMRシリーズ、東芝のダイナブックなど各社独自仕様のアーキテクチャに移植された。後にはAXのベース、更には組み込み機器などに、広く普及し主流となった。しかし()を搭載しているPCであっても、アーキテクチャが異なる機種間ではアプリケーションソフトウェアの互換性はほとんど無かった。は画面描画に関わるAPIを持たないため、グラフィックメモリを操作して画面描画を行うアプリケーションはハードウェアを直接操作せざるを得ず機種依存となったためである。日本ではソフトウェアのみで日本語表示を可能としたが発売され、漢字機能を持たないPC/AT互換機が普及した。バージョン6からはIBMとマイクロソフトのOS共同開発契約が終了し、後にとの単体販売やサポートも終了したため、現在はオープンソースを含めた互換DOSの他、のコマンドプロンプト環境などのDOS互換環境が存在する。は1995年時点で全世界で1億本を出荷した。1980年7月頃、IBMは後にIBM PCとなるパーソナルコンピュータの開発に着手した。しかし、IBMの主力商品である汎用コンピュータに比べるとごく少数のスタッフとわずかな予算しか与えられなかった。プロジェクトリーダーのフィリップ・ドン・エストリッジは、可及的速やかに商品化にこぎ着けるためにソフトウェアは自社開発せずすべて外部から調達する方針を立てた。当時のマイクロソフトはインタプリタやアセンブラならびに各種言語のコンパイラ等を開発しており、それらの製品のほとんどが当時のパーソナルコンピュータ市場におけるデファクトスタンダードOSであるデジタルリサーチのCP/M上で動作するものであった。IBMはマイクロソフトに対し当初はなどの言語製品の開発を依頼していた。OSについても8086対応版のCP/Mをマイクロソフトに開発してもらおうとした。しかし彼らはCP/Mのソースの権利を持っていなかった為、ビル・ゲイツのアドバイスに従ってデジタルリサーチと交渉することにした。しかしデジタルリサーチとの交渉はうまくいかず、結局マイクロソフト自身がOSを開発する事となった。とは言うもののマイクロソフトにはOSの開発経験は無かったため、同じ頃CP/Mが8086に移植されない事に業を煮やして独自に移植作業を行っていたシアトル・コンピュータ・プロダクツのを開発者込みで買収しIBM PC用に改修した。IBMは当初は「」名称でIBMのみへの供給を主張し、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、「IBM用は名称。マイクロソフトによる各メーカーへのOEM供給も認めて普及を図る」という役割分担となったと言われる。この役割分担は後のでも同様となる。リスクを軽減化するために買い取りを避けIBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、そしてマイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めた事が後のマイクロソフトの躍進の原動力と言え、また見方を変えれば、最終的に「軒先を貸して母屋を取られた」IBMの大失策であるとも言えるが、(および)の普及(デファクトスタンダード化)を決定づけたとも言える。マイクロソフトからのOEM版の最初は1982年のバージョン1.25でのと言われる。供給先メーカも名称も複数あったと言われる。1983年のバージョン2.0より「」名称に一本化された。ただし複数のバージョン1も後に「 1.0」などと総称される場合が多い。IBM以外の各メーカーへのOEM供給品に自社の商標(MS)をつけ「」名称としたのは、OEM先メーカーが独自の名前をつけて混乱することを避けるために整理する意味があった。ただし、その後も富士通のや各種制御機器など、内部的にがOEM提供されている場合には「」の名称はユーザーに見えない場合が多い。DOSは標準でグラフィカルユーザインターフェースやマルチタスク機能や仮想記憶を持たず、80386などの32ビット環境でも「高速な8086」としか使用できなかったため、DOSの拡張や次世代OSが待望された。1985年にはエクステンダーであるや、DOS上で稼働する「オペレーティング環境」としてが登場した。更に1987年には本格的なDOSの後継OSとしてIBMとマイクロソフトから 1.0 が登場した。はと同様に、IBMおよびマイクロソフトの両者から供給されたが、性能やDOS互換環境の問題もあり広く普及しなかったためDOSは継続して使われた。1990年に日本ではのバージョン4からが生まれ、マイクロソフトもバージョン5からのOEM供給を開始したため、日本市場でもPC/AT互換機が普及した。1993年のバージョン6からは、IBMとマイクロソフトのOS共同開発契約(OSクロスライセンス契約)が終了したため以後はIBMまたはマイクロソフトの単独開発となった。両者は基本部分の互換性は保たれているが、付属ユーティリティの相違などが広がった。マイクロソフトはこのを単体販売の最終バージョンとし、1995年の以降は単体のDOSも不要となった。IBMはDOSの改良を続けたが、1998年のが最終バージョンとなり、2002年にはサポートも終了した。と名付けられているように、マイクロソフトのパーソナルコンピュータ向けのDOS(ディスク・オペレーティング・システム)であり、主にディスクの管理を行うシングルタスクOSであった。マルチタスク機能・メモリ保護機能などはOS内部には持っていなかった。またグラフィック画面やサウンドの操作・ネットワーク機能などは、やのほかアプリケーションが直接I/Oを操作するかデバイスドライバなどで提供されていた。ファイルの管理は、とクラスタにより構成される。ファイル名は8.3形式、つまり、8バイトまでのベース名と3バイトまでの拡張子の合計最大11バイト(拡張子の前の「.」を数えれば12バイト)で表す。アルファベットの大文字と小文字は区別しない(全て大文字と見なされる)。さらにバージョン2以降では、ディレクトリやファイル属性の与奪が使用できた。起動順序はバージョンによって若干違うが、概ね以下の通りである。codice_1では、各ドライブをcodice_10から最大codice_11までのドライブレターで管理し、内部コマンドではファイル・ディレクトリ一覧の参照、ファイルとディレクトリの作成・コピー・名前変更、コンピュータの時刻や環境変数およびパスの設定参照などができるほか、外部コマンドやアプリケーションなどの実行形式のファイルの起動が行えた。また以降ではを意識した入出力のリダイレクト機能やパイプ機能なども利用できたが、上のパイプやリダイレクトはいずれもテンポラリファイルを介した擬似的な実装に留まっていた。における実行ファイルの形式は、現在の系環境で言うシェルスクリプトに類似したコマンドのバッチ処理を記述するバッチファイル(拡張子はcodice_12)と、CPUが直接実行するバイナリファイルに大別することができる。このうちバイナリファイルには、単一のセグメントを使うcodice_13形式、複数のセグメントが使用される場合のcodice_14形式、さらにデバイスドライバとしてcodice_15形式が存在し、それぞれ同名の拡張子を持つ。codice_13形式の実行ファイルは、バイナリ読み込み時に設定されるコード・データ・エクストラ・スタックの各セグメントレジスタの値が同一アドレスに設定され、プログラム内部でセグメントレジスタを操作しない場合は単一セグメント、最大64KBのメモリ空間を操作する。CP/M 80用に書かれた8080用のアセンブリ言語のソースコードを8086へコンバートした場合を想定したメモリモデルであるが、codice_13形式のバイナリであってもプログラム側で適切にセグメントレジスタを操作することで64KB以上の空間へのアクセスが可能である。このうち.codice_15形式のバイナリは、原則的に起動時に一度だけ実行されるcodice_6に記述する以外の方法では直接読み込むことができない。システムコールは、ソフトウェア割り込みにより呼び出されるが、8080やZ80などの8ビットのコンピュータではメジャーな存在だったCP/Mとの互換性、特に8080用にアセンブリ言語で書かれたソースコードを8086にコンバートして用いる場合を想定し、でも利用可能としてCP/M 80からの移行を促した。において、DOS自身のカーネルを含むプログラムの実行に確保できるメモリ空間(ユーザーメモリ、コンベンショナル・メモリ)は、8086のアドレス空間の最大1MBである。ほとんどのコンピュータでは、この空間にやメモリマップドI/O、などの空間も存在するため、バンク切替えや様々なメモリ拡張手段などを用いずに一時にアクセス可能なメモリ空間は最大でも640KBから768KB程度であった。ただし、ディスクドライブやディスクキャッシュなどはバンクメモリやEMS、プロテクトメモリ(80286/386以降)等のコンベンショナルメモリ以外の領域・手段の利用が一般化していたため、「貴重な」コンベンショナルメモリがこれらの領域によって圧迫されることはなかった。日本語入力用のFEPなどの常駐型のデバイスドライバを使用すると一度に使用できるユーザーメモリはさらに減少するため、ユーザーはEMSやXMS、HMAやUMBなどの拡張メモリの管理機能を利用して、辞書や常駐部やシステムの一部をそれらへ配置し、コンベンショナルメモリの圧迫を少しでも避けることが重視されるようになった。これらのメモリへの配分設定はcodice_6やcodice_8を記述することで行い、事実上ユーザーに一任されていた。バージョン3まではこれらの設定を行うためにはサードパーティー製のメモリドライバ等を使用する必要があったが、バージョン5では標準機能としてOSに組み込みメモリドライバやデバイスドライバも付属するようになった。また、これらの環境設定を半自動的に行う設定アプリケーションも添付された。各種デバイスドライバには自動でインストールを行うスクリプトやプログラムが整備され、単に動く状態を作るだけであればエンドユーザーがこれらを直接操作する必要はほぼ無かった。しかし千差万別な環境の全てに対応するのは難しく、ひとたび問題が発生した場合には初心者にとっては事態収拾のハードルが高かった。また、無駄を省き最適な設定をするとなると、知見と試行錯誤が要求される職人的な資質が要求されたため、これらの事情が「の環境設定は非人間的で困難なものであった」とする後世の評価を招く一因となった。9x系のOSは製品としては「DOSを必要としない、という単体のOS」と称しているが、内部的には一種のDOSエクステンダが組み込まれていて、従来のと同様モジュールから起動してプロテクトモードで稼働しGUIや擬似マルチタスクを提供する構造をしていた。ただし、が使用するシステムコールはごく一部に限られ、などによりファイル管理方法が拡張されている。なお、 95・98などの本体を起動していないモードの場合は上のロングファイルネームでも8文字+拡張子3文字のショートファイルネーム形式のファイル名で表示された。との主要なバージョンの一覧は以下の通り。CP/M程度の機能しか持たない、基本的なディスクオペレーティングシステム。ファイルシステムは後のバージョンで実装された階層構造を持っておらず、ディレクトリが利用できない。CP/Mとの大きな違いは、汎用化の為に入出力デバイスの機種依存が無くなっている点であった。その為、ハードウェアにとして内蔵されたを通して入出力を行うようになっていた。なお、この仕組みは互換を利用したPC互換機を生み出す要因ともなった。このバージョンが使われていた頃は、8086またはその互換プロセッサ(8088等)を利用したパーソナルコンピュータ市場もそれほど大きくなかった為、出荷本数の大半はIBM PCにバンドルされた分だった。IBM PC/XTの仕様に合わせ、HDDや360KB 5.25インチフロッピーディスク (2D) をサポートしている。階層構造ディレクトリ、codice_6によるデバイスドライバの追加機能、ライクなパイプ等の機能が追加された。アセンブラのMASMが付属していた。マイクロソフト版はこのバージョンより名称が「」に一本化された。当初 IBM PC/AT 用に発売。主としてネットワーク対応と大容量HD対応の為の16ビットが追加された。本来80286プロセッサを搭載したPC/AT向けだったが、互換性確保目的で80286のプロテクトモードを利用した新機軸は敢えて盛り込まれなかったためサードパーティー製の各種ユーティリティによって機能拡張するユーザが多かった。ベンダーによる独自拡張などで方言が多くバージョン番号の体系も大きく乱れている。必要十分なスペックと安定性が評価され、またバージョン4以降の仕様変更の影響を避けるために一部ではかなりの長期間にわたって愛用されていた。バージョン3.20から派生し、8086上で限定的な擬似マルチタスク環境を実現したもの。マイクロソフトが開発したが不十分であるとしてIBMには採用されず、にネットワークOSとしてOEMされた他、僅かの用途に留まり絶滅亜種になってしまった。非同期I/O対応やバックグラウンドタスク規約など資産の一部は 2.x に流用され、また80286プロテクトモードを前提に並行開発されていたもの(当初バージョン5と呼ばれていた)はIBM主導で大幅に改訂され、世に出た時にはバージョン1.0になっていた。IBM主導で開発されたバージョン。色が濃くなり、IFSやラージバッファ等の追加のみならず管理セクタ数が増やされた事に伴いHDは理論上最大2GBの領域を扱うことができるようになった(実際にはの制限があった)他、添付ユーティリティを利用すると最大512MBのパーティションまで作成可能になったが、その反面余りに多くの変更がファイルシステムに加えられたため非互換性の問題も生じてしまった。情報が全部公開されていなかったものの、2バイトコードによるユニバーサルランゲージ対応が内部的に完了したのも本バージョンからである。従来のバンクメモリに代るEMSの標準サポートによって扱えるメモリ領域が1MB以上に拡張された。互換OSので好評を博していた「」に類似のグラフィカルユーザインタフェース環境、「DOSシェル」が添付された。これはマウスオペレーションやグラフィカルなメニューによる直感的な操作が行えるもので、依然シングルタスクながらも複数のアプリケーションを重複起動して切替動作させることができ(いわゆるタスクスイッチャ)、GUIもキャラクタベースによる簡易なものとグラフィック画面とテキスト画面を組み合わせたもの(表示が美しく、ポインタの動作もスムーズになる)とを選択できた。DOSシェルのデザインはIBM に準拠していた。本バージョンには性急な複雑化に伴う非常に多くのバグが存在し、またOS自体が消費するメモリが過大だったため、メーカーによって 3.30 を拡張した 3.31 を採用するなどして4.0を採用しないところが有った。特に日本ではコンベンショナルメモリの空き容量が日本語処理アプリケーションの稼動に大きく影響を与えるため、大手メーカーであるNEC、富士通などが3.21系の拡張版のみを販売し続けたことで、4.0のユーザー数はそれほど多くなかった。再びマイクロソフト主導で開発された。バージョン4で付加された中途半端なユーティリティの多くが削除された一方、80386、80486等に備わる仮想86モードの活用と 3.0 との親和性を主眼にほぼ全面的に再コードされたため、パソコン通信等を介した約1年にわたる大規模なベータテストを経て市販開始された。IBMの製品へのバンドルに限定せず、巷に溢れるPC/AT互換機へのフル対応を初めからうたいインストーラ込みで発売された最初の()でもある。メモリ消費は少ないものの大容量ドライブが扱えないバージョン3、その逆で大容量ドライブが使えるがメモリ消費が大きいバージョン4というジレンマを抱えていたが、限りあるメモリ領域の消費を抑える機能を追加することでそれまでの問題を払拭するに至った。このバージョンによりDOSはほぼ完成を見たが8086~80286とその互換CPU上の動作には制約が強まり、結局のところ巧妙なアップグレード戦略の下でハードウエアの買い替え需要が喚起された。XMSによってDOS本体の一部をHMAに、デバイスドライバやアプリケーションの一部をUMBに待避させることが可能で、コンベンショナルメモリが大きく取れるようになった。またタスクスイッチ規約が明確に定義され、DOSシェルの機能拡張( 3.0 のサブセット化)が図られた。各種対応も進められ、コマンドにヘルプが付されるなど利便性も向上した。テキストエディタは、過去のバージョンに標準添付されていたラインエディタ「codice_25」に加えスクリーンエディタ「」が添付された。開発環境として、コマンドラインエディタに加え独自に拡張された構造化コンパイラが標準添付されていた。それまで未公開だったファンクションの多くがユーザに解放されたためカスタマイズやデバイスドライバ開発が更に容易になった。日本ではマイクロソフトがのOEM供給を開始し、PC/AT互換機をベースに独自の拡張を行っていたAX陣営や東芝 (J-3100)もこの頃よりへのシフトを進めるようになった。また、世界のデファクトスタンダードであるPC/AT互換機のハードウェアでそのまま日本語版OSを使えるようになった為に日本国外のメーカーが積極的に日本市場へ参入し始め、NECの独擅場であった日本市場は大きく変貌することとなった。ディスク最適化やディスク圧縮機能(後述)、コンピュータウイルス検出・除去など、アクセスに必要なの付属等付加機能の充実が主。単体としての最終版。デジタルリサーチから互換の 6.0 が発売された。大きな特徴は補助ユーティリティの大幅な増強である。その為、IBMおよびマイクロソフトでも基本仕様はほとんど変えずに補助ユーティリティを追加する事でバージョン6を発売することになった。IBMは6.1、それに続くマイクロソフトは6.2と、先に出た競合相手よりバージョン番号はそれぞれ0.1だけ大きい。起動時に特定のキーを押すとcodice_6・codice_8の一部の行を実行したり、全てバイパスする機能があった。マイクロソフト版は同時期に発売された 3.1 の普及促進のため、販売戦略的にシェルは廃止された。テキストエディタは日本語に対応して共通のcodice_28となった(PC-98版はcodice_29が付属)。 95/98/98SE に搭載されているバージョン。ファイルシステムでは長いファイル名がサポートされたのが最大の特徴。従来のcodice_3はcodice_2にその機能を統合されて設定ファイルとなり、codice_2が起動する標準シェルがcodice_1ではなくcodice_34であるなどを極力見せない工夫がされていた。しかし、起動中にテキストモードのカーソルが見える。 95の以降ではにも対応しているバージョン7.1である。また、 95/98はを起動せずにモードで再起動することができた。1995年リリース。IBM版のみ。開発環境として「」を標準添付。ディスク圧縮ユーティリティは「」から「4.0」に変更された。 7(マイクロソフト版)とは異なりGUIとの融合はされなかったが、発売開始当時インターネットの普及が進んでいたため用ウェブブラウザ「」が発売された。に搭載されているバージョン。codice_2にcodice_36およびcodice_37の機能を統合した最終版であり、もはやのブートローダでしかなくモードでの起動も廃止された。や以降で起動ディスクを作成するとこのが書き込まれる。またPC-9800シリーズ全盛期には、ゲームソフトの組み込み用として下位互換(系のサブセットのみ互換)の「」などがあった。アリスソフトの「」は、もともとゲームソフト本体はをインストールしたハードディスクドライブ上で動かすことを前提としあくまでもフロッピー単体でも起動するようサポート用に作られたものであったため、バッチファイルを動かす機能も有していた。

出典:wikipedia

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