関谷(せきや)は、神奈川県鎌倉市の大字。旧鎌倉郡関谷村。郵便番号は247-0075。2010年10月1日現在の人口は2,093人。鎌倉市の北西端に位置し、東部を鎌倉市城廻及び玉縄、西部を横浜市戸塚区影取町、南部を藤沢市大鋸及び柄沢、北部を横浜市戸塚区小雀町及び栄区田谷町(但し田谷町とは直接接続する道路は無く小雀町を経由する)と接する。また戸塚区影取町内に飛地を持つ。玉縄地域に属する。地域は東部は関谷川を中心とする谷戸と比較的急峻な丘陵部であり、西部は東部の丘陵部から戸塚区との境界線付近を流れる滝野川へかけてなだらかな丘陵部が続き、滝野川から西側は再び急傾斜となり戸塚区影取にある国道1号(東海道)付近を稜線とする台地の一端を形成する。小字として石原谷戸・芹ヶ谷戸・鍛治谷戸・下坪・中道・島ノ神・長者久保などが存在する。また、かつては山居(さんきょ)という小字が存在したが、境界線変更のため現在は属さない。現在の玉縄5丁目付近にあたる。北東部の一部以外、地域の大部分が市街化調整区域となっているため、東部は丘陵地を森林・谷戸部を住宅地で形成され、西部は見通しの良い農地が広がる。「丘陵部の谷間の土地」を意味する谷戸を含む小字が多いのが特徴である。これらの地域は関谷川が流れていることもあり多湿になりやすく、早朝の濃霧のため、バスが運休することもある。住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、関谷字石原谷戸898番53の地点で13万9000円/mとなっている。北西部の関谷農地付近では湧水が多く見られ、このため縄文時代からの生活跡が東正寺遺跡に見られる。17世紀中頃の正保年間に城廻村貞宗寺持であった関谷地蔵堂付近が相模国鎌倉郡関谷村となった。当時の戸数は36戸。1633年(寛永10年)に甘縄藩領となり、1697年(元禄10年)には天領及び旗本長山氏領、幕末になり旗本根岸氏(根岸鎮衛)及び伏屋氏の相給となった。明治時代に入り、1889年4月1日の町村制施行に伴い、関谷村は玉縄村に編入され玉縄村の大字となり、神奈川県鎌倉郡玉縄村大字関谷となった。1933年(昭和8年)、玉縄村は大船町に編入され大船町大字関谷、戦後の1948年(昭和23年)に大船町は鎌倉市に編入され鎌倉市関谷となった。1969年(昭和44年)南側の字山居付近が玉縄2・4-5丁目として分離された。関谷は元々関屋と書かれ、玉縄城本丸への関所があったためこの名がついたといわれる。鉄道は地内を通っていない。最寄駅として大船駅・藤沢駅がバス・自家用車・徒歩などで利用される。
出典:wikipedia
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