尊雅王(たかまさおう、生年不詳 - 長禄元年12月2日(1457年12月18日)?)は、鎌倉時代後期の皇族。順徳天皇の孫。無品・善統親王の子。四辻宮家第2代。自天王の弟である河野宮忠義王と同人物説もあるが、年齢的に一致せず真偽の程は不詳である。その生涯については謎が多く、父とされる善統親王からその薨去の前年である正和5年(1316年)に所領を譲られた四辻若宮と同一人物であったと推定できるのみである。また、この時既に善統親王は84歳であり、「若宮」と呼ぶべき実子の存在を疑問視する説もある。小川剛生は、岩蔵宮忠房親王の実子であったが善統親王の養子となったとする仮説を提示している。長禄の変で、野長瀬盛高・盛実兄弟、楠木正理らに擁立されて、赤松氏の遺臣と戦うが、彼自身は戦傷を深手に負って、間もなく没したと伝わる。
出典:wikipedia
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